フリーエネルギー技術開発の特徴と種々相

フリーエネルギー技術開発の特徴と種々相






Chap.2. イーサ(エーテル)のいろいろ

1. 一般的概念のイーサ
2. アインシュタインの講演:イーサと相対性理論
3. デイトン・ミラーのイーサ・ドリフト実験
4. グイードの語るイーサ
5. J. マグワイァのイーサ理論
6. 動的実質的宇宙論的イーサ by デ・ミオ博士
7. アインシュタインの最大のミステイク by シド・ドイチュ博士
8. アインシュタインとイーサ by コストロ教授
9. イーサ時空間および宇宙論 by レビー & ダフィー
10. まとめと考察







Chap.2. イーサ(エーテル)のいろいろ





 本章では、まず、現在の科学界で主流の一般的概念のイーサを簡単に述べ、そのあとに現在の科学界で非主流のさまざまな概念のイーサについて記述する。なお、イーサは、日本ではエーテルと呼ばれている。

 フリーエナジー(FE)の分野においてエネルギー源として考えられているイーサとは、一体どんなイーサなのか、まだ、その特徴が確定しているわけではない。光の媒質として考えられた古典的ルミニフェラス・イーサと同一なのかもわかってはいない。

 また、イーサと呼ばれるものがFE装置により、どのようなメカニズムで電流、その他の物理量に変換されるのか、そして発生した電流は,なぜ冷電気になるのか。これらは、わかってはいない。将来の研究課題である。

 I節で述べたように、東洋哲学の“気”の思想は、イーサに通ずるところがありそうである。この場合、“気”にはとても多くの種類が存在することが知られている。ならば、イーサにも多くの種類があるかもしれない。本節では、いろんなイーサ概念に関する提案について概観することが目的である。

 何度も言うが、事の真偽ではなく、ヒントの材料として読めばよいだけのことである。イーサからエネルギーを獲得するためのメカニズム構築のヒントである。ちなみに、今のところ、エネルギー抽出法の一つとして、グラジエント法(IXa章)が知られている。これはイーサに働きかける一つの方法であると思われる。これも大きなヒントの一つである。



1. 一般的概念のイーサ 




 現在、主流の科学では、 イーサ(ルミニフェラス・イーサともいう。日本ではエーテルという)は、光が伝播するために必要と思われた媒質で、主に19世紀までの物理学の術語である。現代では特殊相対性理論などの理論がイーサの概念を用いずに確立されており、イーサは廃れた物理学理論と考えられている。

 
ルミニフェラス・イーサ、Wikipedia[2]
光を運ぶ媒質イーサを通って地球は動くと仮定された。


 何故イーサの概念はすたれたとされるのか、そのいきさつを簡単に述べると、19世紀後半に、「イーサの風」(上図参照。矢印)の効果を調べる実験が数多く行われたのである。その中でマイケルソン・モーリーの実験では、ハーフミラーを用いることにより、直交する二つの経路を進むのに光が要する時間の差を高精度で測定することができた。

 1887年に、彼らはイーサの風による影響は観測されなかった、という結果を報告した。同様の実験は、多くの物理学者によって、装置の精度を向上させながら繰り返し行われたが、ついにエーテルの風は検出されなかった。

 これらの実験結果は、イーサの概念に重大な誤りがあることの証拠であるとされたのである。この辺の経緯は、大学過程物理学教科書や文献[1-2]に詳述されているのでここでは省く。

 それ以来、イーサに対する、さまざまな異論も現れ、考察されてきた。以下、その辺のことを記してみたい。

文献

[1]エーテル (物理)
[2]Luminiferous aether








2. アインシュタインの講演: イーサと相対性理論 




 1920年5月5日、アインシュタインは、ライデン大学において講演を行ったが、それは「イーサと相対性理論」という演題であった。下記は、その講演内容Albert Einstein: Ether and Relativity
の抜粋・概訳である。

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イーサおよび相対性理論


アルバート・アインシュタイン


 日常生活で感じた重みのある物質という考えに並んで、物理学者が、他の種類のもの、イーサの存在、をもちだしてきたら、どういうことになるのか?

 その説明は、おそらく、遠隔作用の理論の原因となる現象、および波動理論に至る光の性質を探求することになるであろう。

 これらの二つのテーマについて、しばらく時間を割いてみよう。



 物理学以外では、遠隔作用は何も知られていない。自然的に可能な経験においては、原因と結果を結び付けようとするとき、初めに、直接的接触(例えば、衝突による運動の伝達、押したり引いたりすること、火炎などによる加熱や燃焼、等々)の相互作用以外のものはないかのように見える。

 日常経験での重さ、それはある意味では、遠隔作用なのだが、非常に重要な役割を持っていることは確かである。しかし、日常の経験において、身体の重さ(体重)は、何か一定のものに思われ、それが時間的・空間的に変化する原因には結びついていない。したがって、我々は、日常生活において、重力の原因を推測はしないし、だから、その遠隔作用の性質を意識することはない。

 重力に対する原因を、質量から発生する遠隔作用として初めて説明したのは、ニュートンの重力理論である。…(中略。以下、文末の結論にジャンプする。)



 (本講演を)要約すると、一般相対性理論によれば、空間は物理的性質をもっているといってよいかもしれない。この意味では、したがって、イーサは存在する。一般相対性原理によれば、イーサなしの空間は考えられない。

 なぜなら、そのような空間では、光は伝播しないばかりではなく、時空間の基準(物差しと時計)が存在する可能性がなくなるか、あるいは物理的意味で時間間隔や空間間隔がなくなってしまうからである。…

 (訳注:イーサの具体的実体が何であるのかには、もちろん触れていない。)











3. デイトン・ミラーのイーサ・ドリフト実験 




 下記は、ジェイムス・デミオ博士により書かれたデイトン・ミラーのイーサ・ドリフト実験(文献[1])の抜粋・概訳である。かなり長文なので、一部を紹介するだけであので、ぜひ全文[1]にあたって見られたい。

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デイトン・ミラーのイーサ・ドリフト実験
 by ジェイムス・デミオ博士



  
Dayton Miller
(1866-1941)
文献[1]より

 “イーサ・ドリフトの効果は、どこまでも残っている。あり得る誤差のあらゆる源を考慮した後に、肯定的効果が常に残っていたのである。”― デイトン・ミラー(1928, p.399).


 “ミラーの実験についての私の見解は、次のとおりである。―
 肯定的結果が確認されたなら、最新の形態の、特殊相対性理論と一般相対性理論は、無効であろう。慣性および重力の等価だけが残るであろう。しかしながら、それらは、著しく異なった理論になるであろう”。
― アルバート・アインシュタイン, Edwin E. Slossonへの手紙. 8 July 1925 (from copy in Hebrew University Archive, Jerusalem.)


“私は、ミラーの実験は基本的なエラーに基づいていると仮定して、重力と電気の間の関係を実際に発見したと信じている。そうでないなら、相対論のすべてが、カードの家のように崩壊する。― アルバート・アインシュタイン, ロバート・ミリカンへの手紙 June 1921 (in Clark 1971, p.328)


 “わたしが、私の生涯の研究を平穏な満足感でもって振り返っている、とあなたは思うでしょう。しかし、全く違う。将来揺るぎないであろうと信じている概念は一つもないし、一般的に正しい軌道上にあるのかは、確信はないと感じている。”― アルバート・アインシュタイン, 70歳の誕生日を迎えて。Maurice Solovineへの手紙, 28 March 1949 (in B. Hoffman Albert Einstein: Creator and Rebel 1972, p.328)

  
デイトン・ミラーの光干渉装置、長さ4.3m.

かって建設されたこのタイプのもののなかで、
最大で、最も高感度である。…文献[1]より



 科学の記録の歴史で、重要な転換点としてのアルバート・マイケルソンとエドワード・モーリーのイーサ・ドリフト実験があり、これによって、空間のエネルギー的イーサの概念は、物理学の主流から見棄てられた。

 その後、“空虚な空間”という基本原理が、アインシュタインの相対論のような、光速が一定であることを要求する関連概念に沿って、受け入れられていった。

 いまや有名なマイケルソン・モーリー実験は、殆ど全ての物理学教科書に、イーサは“ない”または“否定的”な結果を主張しているし、それが広く引用されている。

 しかしながら、デイトン・ミラーのずっと重要で詳細な研究のことは、あまりよく知られていない。

 デイトン・ミラーがReviews of Modern Physics に1933年に発表した論文は、イーサ・ドリフトの問題についての20年以上にわたる実験研究から得られた肯定的結果を詳細に記している。これは、また、光線干渉計測の研究における決定的な主要部分を残している。

 他の肯定的なイーサ・ドリフト実験は、例えば、Sagnac (1913) および Michelson、および Gale (1925)によってなされ、光速の変化 (c+v > c-v)の存在が記録されたが、これらは、宇宙空間のバックグラウンドを通して動いている地球と太陽系の、より大きな宇宙学的イーサ・ドリフトの検出に対して適切に製作されてはいなかった。

 しかしながら、イーサ・ドリフトに関するデイトン・ミラーの研究では、その点十分であり、首尾一貫して肯定的な結果を生じていた。

 1906年から1330年代半ばの間に行われたミラーの研究は、ドリフトの実際の方向と大きさから計算して、宇宙論的媒質を通して運動している地球の、イーサ・ドリフトの考えを最も強く支持していた。

 1933年までに、ミラーは、地球は天球の半球の頂点に向かって、208 km/secの速度でドリフトしていると結論した。…(Miller 1933, p.234)

 これは、干渉計の位置で約10km/secの速度の測定された変位に基づいているが、ここで、地球は静止だがそのような特別な方向へのアース・イントレインド・イーサ(地球がイーサを載せて運ぶ。地球搬送イーサ。Earth-entrained ether)を通して押されていると仮定している。これは、地球表面においてイーサの速度を約200-10km/sec低下させる。

 (訳注:Earth-entrained etherとは、後述のイーサ引きずり仮説(Aether drag hypothesis)に基づく考えと思われる。イーサという流体の中を球体が運動するとき、球体表面では流体の一部を押している。)

 しかしながら、今日、ミラーの業績は、殆どすべての実験において、空間のイーサに対し肯定的結果をもたらした実験ケースなのであるが、ほとんど知られていないか言及されることもない。それに代わって、現代物理学は、今日“イーサは存在しないことが証明された”というマイケルソン・モーリーの比較的初期の、そしてあまり重要でない1887年の研究を重要ポイントにしている。

 ミラーは、彼のイーサ測定の真実性について何人かの同時代の人々を信じさせるのに、苦しい時間を費やしたが、彼はこの点については、無視され得なかった。彼は、プリンストン大学の物理の卒業生、米国物理学会および米国音響学会のプレジデント、National Research Councilの物理科学部門の議長、Case School of Applied Science (today Case Western Reserve University)の物理部門のチェアマン、および音響における彼の研究に対しよく知られたNational Academy of Sciencesの会員であった。

 ミラーは“アウトサイダー(門外漢)”ではなかった。彼は、生きている間、測定可能なイーサ・ドリフトの実在に関する確固たるデータを示した一連の論文を発表した。そして、アインシュタインを含む少なくはない批判に対し、彼はその発見の正当性を上手く主張していた。

 彼の研究では、マイケルソン・モーリーの干渉計と同じタイプのものを採用したが、かなり長い光路をもち、もっと感度が高かった。

 彼は、周期的に、その装置をウィルソン山の頂上(6,000'以上)にもっていった。高いところでは、地球搬送イーサ理論が、イーサは海面レベルに近いところより早く動いているだろうことを予言していたのである。ミラーの生存中、ミラーの業績は、批判によって基本的には崩され得なかった。

 しかしながら、彼の生涯の終わり頃になると、彼のイーサ測定論文は、物理学の大きな世界により安易に無視された。また、世間がアインシュタインの相対論に魅惑されてしまったことにより、彼は、孤立していった。

 1941年に彼が亡くなったあとに、ロバート.S.シャンクランド他3名の連名で学術誌Reviews of Modern Physicsにミラーの批判的論文(1955)が掲載され、ミラーの研究は、最終的に休止状態にさせられてしまった。(以下、シャンクランド・チームあるいはシャンクランド論文と呼ぶ)

 シャンクランド論文は、ミラーのデータを公正でわかりやすいレビューを行って実質的に欠陥があることを見つけたということになっている。

 ロイド・スウェンソン(Lloyd Swenson)のイーサリアル・イーサ(Ethereal Aether) (1972)は、シャンクランド・チームの批判に高度な重要性を付与してミラーと彼の“不可解な”肯定的結果の通りいっぺんの考察を著した。スワンソンは以下のように書いている:

 “シャンクランドは、アインシュタインと広範囲にわたる相談をしたあとに、ミラーの観測を徹底的なレビューにさらすことに決心した。…アインシュタインは、最後の原稿(シャンクランドの出版前の原稿の)を見て、ウィルソン山実験から得た小さな周期的問題を最終的に説明していることに感謝する私信を書いた。(Swenson, p.243)”


…(中略。あまりに長いので、最後の結論にジャンプする。ただし、写真・図だけは引用しておく。これであらましは把握できる。詳細な本文は必要に応じ文献[1]を見られたい。)


  
(Case W. R. U. Archive)マイケルソン‐モーリーの干渉計[1]
 約22mの往復光路を有する。旧ケイス・スクール(現在のCase-Western
Reserve University)の物理棟の基礎の中のコンクリート・プラットフォー ム上に設置した。

 この干渉計の感度は、後に建設されたミラーの64m干渉計の約1/3であっ た。この写真では、光路を覆う木製防護カバーは取り外してある。

 そのような密度の高いカバーおよび石の基礎は、ミラーが示したように、 イーサの動きを遅くした。

 これらの問題は、比較的短い光路および比較的低い位置にして、事実上 ほとんど小さい(しかしゼロではない)測定値が保証された。





  
マイケルソン‐モーリーおよびミラーの干渉計の光路[1]
 光源(S)から発生した光はレンズ(L)を通り、銀のハーフミラー(D)で分離する。それから光線は光線(IおよびII)に沿って、ミラー(1-8)へ前後に反射し、最後に、銀のハーフミラー(D)で再会し、小望遠鏡アイピース(T)へ反射される。ここで、干渉縞が観測される。


  
望遠鏡で見られる干渉縞[1]


  
典型的なデータシート[1]


  
ミラーのコントロール実験[1]
 上の写真: 木製プラットフォームが、ケイス・スクールの建物内で、干渉計のミラーと光学系に対して、装備されている。
 下の写真: コンクリート製プラットフォームが、ケイス・スクールの建物内で、干渉計のミラーと光学系に対して、装備されている。


  
ミラーのコントロール実験[1]


  
ミラーの完全絶縁干渉計[1]
 これは、ウィルソン山で最後に採用された。金属支持構造体を覆う1インチの絶縁コルクパネル、および光路に沿ってカバーするガラスと軽い紙で絶縁している(写真では紙は除いてある)。
 これらの措置は、装置と光路内の空気の周囲温度差の重大な影響を取り除く。しかし、これでもイーサ・ドリフトの動きが見られた。


  
ウィルソン山のミラーの干渉計ハウス[1]
 上の写真: キャンバスで全体を覆い、ビーバーボード (木繊維から作った 軽い合板; 間仕切りや天井板などに用いる)の壁で絶縁している。
 下の写真: 温度をさらに安定させるために、上と同じハウスの屋根と壁をテントカバーで覆っている。 


  
ウィルソン山のミラーの干渉計ハウス[1]


  
ウィルソン山の頂上(矢印:後に“イーサ・ロック”として
知られている場所)のミラーの干渉計ハウスの位置[1]


  
Fig.1 イーサ・ドリフトの速度および方位角[1]
ウィルソン山における四つの10日間測定。1925-1926.


  
Fig.2 グローバル・イーサ・ドリフトの周期[1]
ウィルソン山におけるイーサ・ドリフト実験。1925-1926。
 上段: 四つのそれぞれ離れている月または期間から得たデータ。1年の内で異なる時間に測定し、恒星時により表してある。このグラフは、一定の周期があることを示している。太い線は四つの期間の平均である。
 下段: 常用時(civil time)により表したときの上段と同じデータ。ここで、データのプロットはグラフ全体に広がっていて、明らかな周期性がない。
 これは、イーサ・ドリフトの検出された軸および周期性は、1年間の異なるときに対して同じであるが、宇宙論的恒星時座標系の範囲内で見たときのみ見られる、ということを示している。…




  
Fig.3 グローバル・イーサ・ドリフトの平均速度および方位角[1]
ウィルソン山におけるイーサ・ドリフト実験。1925-1926。
 上段: 四期間の測定から得たイーサ・ドリフトの大きさの平均変化。
 極大速度は、恒星時5時あたりで起こり、極小速度は恒星時17時あたりで起こる。

 ミラーの1933年の論文は、地球はイーサにより黄道面の南極付近の旗魚座の方向に押されていると仮定されるとき、干渉計を通り過ぎるイーサ・ドリフトの運動と方向は、正確にこれに逆であり、黄道面の北極付近の竜座に向かう (17 hours right ascension, declination of +68°)。

 彼の理論の観点から、“イーサ・ドリフトの方向”に対する“地球の正味の運動”の概念を明らかにすることが重要である。しかしながら、もしイーサそれ自体が、宇宙の基本運動として、動いているならば、イーサ・ドリフトの方向および地球の正味の運動は、異なる速度においても、同一であろう。

 下段: 恒星時による方位角の読み値の平均的変化。このグラフは、ミラーによる論文(1933, p.235)のFig.2(上のグラフ)のおなじ平均データの曲線を用いているが、異なるベースライン平均を用いている。

 同じグラフが、季節平均を用い改定したミラーの論文(1933. p.235)を用いて、初めてここに示されている。これはイーサ・ドリフトの軸を定義する助けになっている。

 驚くべきことに、ミラーにより四つの期間に対する独立平均(Feb.=-10° west of north, April=+40° east, Aug.=+10° east, Sept.=+55° east) は、平均変位(23.75° east of north)を生じている。これは、地軸の傾き23.5°に非常に近い値であるが、偶然の一致とは言い難い。

 このことに関する、さらなる考察は、筆者により与えられている(DeMeo 2002; Graphic adapted from Miller 1928, p.363 and Miller 1933 p.235)。  


  
ミラーが製作したモデル
 太陽の周りを動く地球の四つの季節に対するイーサ・ドリフト軸を示している。このモデルでは、ドリフト軸は、概略黄道面に垂直である。  


  
マイケルソン - ピース - ピアソンが用いた装置
 この装置は、彼らの論文(1929)で報告されたようにウィルソン山において、数値は明示してないが20 km/sec以下のイーサ速度の検出に成功したときの装置である。

 この肯定的結果は、実験者が地球搬送イーサ(Earth-entrained ether)の概念の意味を早まって除いてしまったために、“否定的”として棄てられたものであった。この実験は、かって製造されたことのない最大の光路を有する干渉計を使っていたが、それは、往復52mの光路であり、ミラーの64m干渉計に近い感度を有していた。…  


  
デイトン・ミラー(左)およびアルバート・マイケルソン(右)
マウント・ウィルソン観測所で開催された
マイケルソン・モーレイ実験の学術会議にて


  
ロバート・S・シャンクランド(Robert S. Shankland)
 デイトン・ミラーの教え子であり、Case Western Reserve大学の物理学部のチェアマンであった。
 シャンクランドの学術的経歴は、ミラーの研究のチェック・チームを組織し、ミラーの研究は価値がないと宣言し、後にアインシュタインが、彼を広く出版された一連のインタビュー記事で認めた後に、名声が上がった。

 その後、シャンクランドは、発展しつつある原子エネルギーインフラ・ストラクチャ分野のなかで官僚になった。

 アインシュタインと懇意であり、1981年のインタビューで、シャンクランドは、イーサ・ドリフトに関するミラーの研究は、おそらくアインシュタインに相対論に対するノーベル賞の犠牲を払うと主張した(アインシュタインは、後にノーベル賞を獲得した。しかし相対論ではなく他の理論的研究で。)。

 ミラーの死(1941)の丁度前に、ミラーは1900年代初期から行われたイーサ・ドリフト実験の膨大なデータをシャンクランドに預けた。ウィルソン山からの300枚以上のデータシートに数多くの実験ノートを含んでいた。これらの全てはシャンクランドの管理下で消失してしまった。

 (あとがき:2002年9月)本稿をPulse of the Planet #5 および、インターネットに投稿し、ミラーのデータは、シャンクランドにより破壊されてしまったことを示唆し、ケイス・ウエスタン・大学ののいろんな教授と大学職員にミラーのオリジナル・データをしっかり探すように圧力をかけたところ、CWRU(Case Western Reserve University)の物理学部内に再び姿を現した。それは、すぐにCWRUアーカイブズに引き渡された。



 



 結論

 科学史におけるこの重要で悲しい章に対する私の見解としては、驚愕と失望の両方をもたらしたことである。ミラーのイーサ・ドリフトの研究は、明らかに、マイケルソンを含めこの問題に取り組んだ他の研究者よりも、ずっと精密で、ずっと注意深く、そして精励努力により遂行された。しかし、いまだ、彼の業績は、基本的に科学史の外に置かれている。

 生きていたときは、ミラーは、批判に対しては簡明に答え、また何年にも渡って精度を向上しつつ、イーサ・ドリフト現象をデモンストレーションしていた。彼は、他の人たちが小さな効果か否定的結果しか得られないのに、何故彼は大きな肯定的結果を得続けているのかの理由を、常に指摘していた。

 マイケルソンと他の数人は、ミラーの研究を重要視していた。しかし、アインシュタインと彼の追従者たちは、ミラーを、脅威として見るか、あるいはできるだけ応急的に“言い逃れ”のように対応しているようであった。

 アインシュタインは、実際、第二次世界大戦の終わり後、大衆の眼前にのし上がっていった。核物理は、その時英雄的に観られ、アインシュタインは、彼の研究は批判され得ない文化的信仰像として急速に取り扱われるようになっていった。この状況の中に、シャンクランド・チームがやってきた。彼らの明白な使命はミラーの棺に釘を打ち込むことであった。その努力は、ほとんど成功したのである。

 ミラーに対するシャンクランド・チームの結論は、明らかに否定的であったが、しかし、ミラーのウィルソン山データの一つの系統的統計的解析のみミラーが言ってきたことが確認できた。干渉計のデータに明白で系統的周期的効果があったのである。

 さらに、シャンクランドの論文は、周期的効果はランダム・エラーあるいはメカニカルエラーの産物ではないというミラーの主張を真実であると確認した。引き続いて、シャンクランド・チームは、ミラーのデータの温度外乱の影響をチェックしたが、温度外乱による影響を見つけることには失敗した。

 しかし、この点に関しては、彼らは核心的に重要なウィルソン山データのシステマテイックな解析に失敗した。彼らは、少数の出版したデータと出版してないデータの組、それは、ケイス・スクールにおけるコントロール実験も含めたミラーの研究の異なる時期におけるデータからもってきているデータ、を採用するというバイアスのかかった選択を行っている。(訳注:これでは、システマテイックな解析でなく作為的解析である)

 ミラーの最も決定的なウィルソン山実験(1925-26)では、300の個別データシートを記録した干渉計の合計6,402回の実験を成し遂げている。これこそが、シャンクランド・チームが焦点をあてて、システマチックな解析をすべきなのである。

 であるのに、彼等は、これらの最も革新的なミラー・データのうちのたった数枚のデータシートを選んだにすぎない。これは、それらのデータの10%以下であって、それを検討対象にしたのである。抽出するためにデータから切断された後に、想像に基づいて、これが温度異常の証拠であるという意味に、殆ど安易にとったのである。

 (中略)

 シャンクランド・チームは、彼ら自身が新しい実験はしていない。イーサ・ドリフトの疑問についても、光線干渉計の熱的擾乱問題についても、である。―彼らは本質的にミラー・データに対しアマチュアの解析を行ったのである。

 (訳注:ミラーは光線干渉計の熱的擾乱問題については、実験で厳格に吟味している。長文なので、割愛する。以上は抜粋・概訳であるので、全文[1]をぜひ読んでほしい)



文献

[1]デイトン・ミラーのイーサ・ドリフト実験 by ジェイムス・デミオ博士










4. グイードの語るイーサ 




 下記の文献[3-4]はグイードが語っているイーサである。文章の論理的展開に雑っぽさが見られるが大雑把に現状を把握するのには役に立つであろう。細かなことを気にせずざっと読み流すとよい。下記は文献[3-4]の抜粋・概訳である。

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文献[3]より

はじめに

 私は、現在は主流でない考えのアイデアと知識を分かち合う方法として、このウェブサイト【3-4】を始めた。

 私は、科学者(物理学博士)として学び卒業したとはいえ、保守的な体制のなかに通常は見られない代替案的な知識に常に興味を抱いてきた。

 科学情報は、ある点では有用であり興味深いものである。しかしながら、実際のライフについてのもっと重要で興味深い質問に答えることはできなかった。たとえば、我々はどこからやって来たのか、我々という存在および我々が生きている宇宙の背後に横たわる性質は何か、という問題である。

 そこで、私は、サイババやオショのような導師の研究を始めたが、それは私をインドのようなところへ導いていった。私は、そこに別の知識源を探すということを始めたのである。私は、東洋の哲学を研究したのであるが、それは、科学とか通常宗教よりも、ずっと意味深いものに感じた。

 私は、占星術とヨーガを学び実行した。私は、チャンネリングを含めて深遠な知識を調査した。それはよく当たると思った。わたしは、別の次元の経験をした人たちの話を読んだ。たとえば、アストラル・トラベルである。彼らは、過去世を思い出したが、その過去世情報は実証された、等々である。

 我々が信ずるもの以上のものが沢山ある。

 このウェブペイジで、私が発見したもののいくつかを、あなたと分かち合いたいと思う。
 誰でも、何を受け入れ何を拒むか自分自身で決めなくてはならない。しかし、オープン・マインドになって研究しないと決めることはできない。この旅は、通常の信念の安全性を超えて冒険するという意欲でスタートするのである。

 あなたの旅がうまく行きますように。



イーサ物理学

 われわれは、ここで、我々の周りに見られるすべての物理現象を維持し、その原因となっている、あまねく充満しているイーサの存在を再検討しよう。



イーサの再出現


時間の遅れ

 時間の遅れとは、相対性理論が予言する現象。運動している状態によって時計(時間座標)の進み方が異なることを指している。特殊相対性理論では、ある速度で動いている観測者の時計の進み方は、それより遅い速度か静止している観測者の時計よりも進み方が遅くなることが予言された。これは、実験的に確認されている。―Wikipedia


双子のパラドックス

 双子の兄弟がいて、弟は地球に残り、兄は光速に近い速度で飛ぶことができるロケットに乗って、宇宙の遠くまで旅行したのちに地球に戻ってくるものとする。このとき、弟から見れば兄の方が動いているため、特殊相対性理論が示すように兄の時間が遅れるはずである。すなわち、ロケットが地球に戻ってきたときは、兄の方が弟よりも加齢が進んでいない。一方、運動が相対的であると考えるならば、兄から見れば弟の方が動いているため、特殊相対性理論が示すように弟の時間が遅れるはずである。すなわち、ロケットが地球に戻ってきたときは、弟の方が兄よりも加齢が進んでいない。これは前の結果と逆になっており、パラドックスである。このパラドックスは、双子の兄弟の運動が対称ではないことから解決される。―Wikipedia

 イーサの概念は、かなり古くから用いられてきた。近代のバージョンのイーサは、光の波動の性質を説明するために18世紀に進められた。

 しかし、これは後にすたれてしまった。なぜなら、ある実験結果がこの概念に矛盾すると思われたからである。その実験の主たるものは、マイケルソン・モーリーの“無し”という結果であった。この日から、科学者たちは、光は、どんな媒質とも無関係に存在するという考えを、疑うこともなく受け入れてしまった。

 振動する波動の伝播に関係するものなしに波動が存在するという見解は、筆者にとって馬鹿げているのであって、そのこと自体、イーサについて再検討する理由となるのである。

 しかし、実際のところ、イーサ・モデルには数多くの他の利点がある。以下、その多くを考察する。

 我々が、ものごとを調べるにあたっては、アインシュタインの相対性理論に関して多くの問題が発生する。ミラン・パブロビックは、アインシュタインの特殊相対論のオリジナル論文を注意深くチェックして、多くの矛盾と疑問の余地のある仮定を発見した【1】。

 さらに彼は、例えば、マイケルソン・モーリー実験、光のドップラー効果、フィゾーの光の水透過テスト、光行差のような特殊相対論を正当化するのに用いられた実験的証拠に目を向けた。彼は、これらのほとんどは、非相対的な点、あるいは地球がイーサを載せて運ぶという仮定の点では理解され得る、ということを示した。

 また、双子のパラドックスと時間の遅れに関係した未解決の矛盾は、特殊相対性原理の妥当性に関して、いっそう疑念を加えている。

 我々は、相対論の公式の正しさに疑念をいだいているのではなく、相対論とその仮定に疑いを抱いているのであることに注意されたい。ローレンツが、イーサ・モデルと電磁気学の実験結果に基づき、アインシュタイン以前に相対論的公式を既に導き出している。

 また、特殊および一般相対論に批判的見方をとっているバーニストン・ブラウンの文献【2】、およびアインシュタインの相対論に異議を唱えているよく知られた物理学者と数学者達のリストを提示しているマーカス・コールマンの文献【3】も見られたい。

 イーサの存在を支持するさらなる実験結果がウェブスター・ケア(Webster Kehr)により提供されている【4】。

 もう一つ重要な発見がハロルド・アスプデン(Harold Aspden)のエネルギースピン実験からなされている【5】。彼は、永久磁石の回転体を、ある速度まで上昇させた。彼は、回転体を静止させ、そして停止後1分以内に再び回転させると、また同じ速度にまでもっていくのに、はじめの試行での300ジュールであるのに比べ、たった30ジュールにすぎないことを発見している。

 この実験の重要性は、第1の回転で影響を受け、それが結局第2の回転に影響を与えている媒質が存在することを指摘しているということである。この最もあり得る説明は、イーサのような媒質の存在であって、そのなかでは、第1の回転がイーサのうず(慣性の節を参照)のような何かを生成し、それが回転を停止してもしばらくは存続するということである。標準的な理論では、そのようなことは説明できない。つまり、これはゼロポイント・エナジー理論を含んでいるのである。

 電磁気的ゆらぎが“真空”から自然発生的に起こるという概念を量子電磁気学(QED)が導き出している【6】。

  
Harold Aspden
from Wikipedia.
スティーヴン・ウィリアム・
ホーキング
(Stephen William Hawking)
from Wikipedia.

 これは、物質の中の電荷成分と相互作用することができる一種の媒質を表している。そのような相互作用は他のものとのあいだの慣性を説明するものとして提案されている【7】。この理論は、慣性の場合にはあり得るが、アスプデンの回転実験の遅延効果を説明するのには、かなり困難であろう。

 いま、オーソドックス科学でさえ、構造が全体に広がる空間のようなイーサの可能性を再考し始めている。最近、Theodore A. Jacobson と Renaud Parentaniがサイエンティフィック・アメリカン誌に、流体中の音波のふるまいとブラックホールの周りの湾曲した時空間のなかの光のふるまいに類似性があることを指摘する論文を書いている【8】。

 時空間を流体の特質に割り当てる研究は、ホーキング(Stephen Hawking)により発展されたようなブラックホールからのフォトン放射理論のなかでいくつかの基本的な欠陥を解決する。

 この理論は、ブラックホールを逃げ出す実質上のフォトンに対する無限の赤方遷移のような困難を引き起こす。ゼロ長の波長とか無限エネルギーなどの問題も含まれる。

 微小粒状性(流体は微小サイズにおいて微小粒子性を有する)を時空間の原因とすることは、これらの困難点の多くを解決する低波長カットオフを提供する。

 しかしながら、それらのモデルの結果のひとつは、光は時空間の“分子”が他に比較していかに動くかということに依存する異なる速度をもつということである。これは、フォトンの速度は、ある条件ではCより早いということを含んでいる。

 明らかに、これは相対論に矛盾する! 我々は、ここで、このディレンマを要約した文を引用する:

 ホーキングの解析へこれを適合すると、代償が必要となる―つまり、相対性理論は変更を加えなければならない。アインシュタインの仮定とは違って、時空間は何か未知の種類の“分子”から構成されていなければならない。


 その文献は、アインシュタインが亡くなる約1年前に、彼が作るのを助けた体系そのものについて保留を表す内容で、アインシュタインが友人のMichele Bessoに送った手紙から興味深い引用をしている。読者が熟考されるために、そこのところを引用する:

 物理学は、場の概念、すなわち、連続的構造、に基づかざるを得ないとすることは全くあり得ること、と私は考えている。そのとき、私の空中の城には、重力理論も含めて何も残らなくなる。残りの近代物理学の何もない。


 イーサ・モデルは、標準的理論の多くのパラドックスと矛盾を排除する、もっと直観的な方法において、宇宙を記述することを許してくれるのである。

 たとえば、光と物質の粒子/波動の二面性、慣性と重力の起源、重力質量と慣性質量の等価性、量子波動関数の崩壊の概念的矛盾、量子電磁気学と一般相対論の間の不一致、相対論の双子のパラックス、その他、である。



マイケルソン・モーリーの実験

 イーサ・モデルについて語る前に、マイケルソン・モーリー実験(1880's)の明らかな“(イーサは)ない”という結果に注意を向けなくてはならない。

 実験は、イーサあるいは光の媒質が観測者に向かって近づくか、あるいは遠ざかるように動くときに光の飛行時間を測定することにより、イーサの存在を検出するように装置が構成された。水の表面の波動は波動を運んでいる水が動くとき、その影響を受けると同じように、時間は、二つの場合で異なるはずである。

 この実験で得られたことは、明白に“ない”という結果であった。すなわち、飛行時間は同じであった。これは、光を運ぶイーサは存在しないということを示唆していた。


マイケルソン・モーリー実験



 マイケルソンはエーテルの流れを検出するに十分な精度を得られる実験方法を考案した。これは今日干渉計と呼ばれる装置である。まず、光源から出た白色光線はハーフミラーを通り、二つの互いに垂直な光線に分割される。

 それぞれの光線は、しばらく進んだ後に鏡で反射され、中央に戻ってくる。そして検出器の上に重ね合わせると、それぞれの光線が光源を出てから検出器に到達するまでに費した時間に応じて、干渉が起こる。光線が費した時間が僅かでも変化すると、干渉縞の位置が動くはずである。

 もしエーテルの風が地球の自転にのみ由来するのであれば、風向きは12時間ごとに反転する。また、一年を通しても、半年ごとに風向きが変化しなければならない。すなわち、エーテルの風向きによって干渉縞が移動するのである。

 実験は、エーテルの流れが太陽から見て止まっていると仮定し、地球の運動により引き起こされる干渉縞の移動の測定を目的として行われた。

 マイケルソンは1881年にいくつかの実験を行った。予想された干渉縞の移動が、縞の間隔を1として0.04であったのに対し、検出されたのは最大で0.02であった。―Wikipedia

 詳細はウイキペデイア参照。




(注)上記の0.02という値は、予想より小さいことと装置の精度の点から考えて誤差の範囲であり、イーサは存在しないと考えられた。しかし、低い場所で測定した彼らの実験で小さな値が得られるのは、下記のデイトン・ミラーの考えでは当然のことであった。




 我々は、1900年代初期にDayton Millerがもっと広大で、もっと精密な実験を行い一定の時間差を得ているので、それは明らかなことといえる。それらの実験に対する興味深い説明を行っているJames DeMeoの文献【9】を見られたい。

 実際、マイケルソン自身が、1928年に実験を繰り返して、小さいが肯定的効果を発見している。しかし、地球は、静止したイーサのバックグラウンドを通して高速で飛行するという当時の仮説から期待される値よりかなり小さな値であったので、この小さな効果は実験誤差のせいとされた。

 それ以来、イーサという概念は、科学界から夢想の世界へと追いやられてしまった。

 しかしながら、我々は、“ない”という結果に対しては、Dayton Miller、その他により、1880年代に引き戻す、どちらかと言えばシンプルな、他の説明があることを確信している。


イーサ引きずり仮説
(Aether drag hypothesis)

 19世紀において、光の伝播のための媒質としてのルミニフェラス・イーサの理論が広く議論された。この議論の重要点は、この媒質に対する地球の運動状態に関する疑問であった。

 イーサ引きずり仮説は、ルミニフェラス・イーサは運動している物体に引っぱられているのか、あるいは運動物体の内部で一緒に搬送されているのかという疑問を扱っていた。

 第一バリアントによると、地球とイーサの間には相対運動は存在しない。第二バリアントによると、相対運動は存在し、したがって光速はこの運動(イーサ風)に依存し、これは地球表面に静止した装置で測定可能であろう。

 ある種のイーサモデルがオーガスチン・ジーン・フレネルにより発案されたが、それはイーサは物質により部分的に搬送されるという提案であった(1818)。もう一つは、1845年にジョージ・ストークスにより提案され、イーサは物質内部やその近傍において完全に搬送されるというものであった。

 フレネルによるほとんど静止の理論はフィゾーの実験(1851)により明白に確認されたが、一方、ストークスの理論は、マイケルソン・モーリーの実験(1881, 1887)で、明らかに確認された。この矛盾した状況は、ヘンドリック・アンツーン・ローレンツ(1895, 1904)による研究で解決された。彼のローレンツ・イーサ理論はいかなる形態のイーサ引きずり論も抹消した。

 最後に、アルバート・アインシュタインの研究(1905)で、特殊相対論は、メカニカルな媒体としてのイーサを全く含んでいない。 ―Wikipedia

 それは、すなわち、地球は、イーサを載せ、イーサとともに回転しているということである。これは、イーサはガス状か液状であるので、もし空気や水の中で物体を回転させれば空気や水は間もなく物体と共に回転し始めるとすれば、もっともなことと思われる。

 これは、イーサは、地球表面では地球と同じ速度で回転し、地上から高くなるにつれ速度が遅くなるということを意味している。

 したがって、このモデルでは、地球表面で行った実験では、イーサの地球に対する相対速度が小さいために、“ない”または“非常に小さい”という結果になるであろう。

 ウィルソン山(1800m)の頂上で実験したデイトン・ミラー(Dayton Miller)は、海面に近いところで実験したマイケルソン・モーリーより高い値を観測したことは注目すべき興味深いものがある。

 これは、海面レベルより高くなるにつれイーサは、早く動くということを予言しているイーサ搬送モデル(aether entrainment model)と一致している。

 このモデルが正しければ、もしマイケルソン・モーリーが宇宙空間で実験したとすれば、太陽はそれ自体イーサを引きずり回しているということを心に留めて、もっと大きな効果が得られただろうことが期待できる。

 このことをある程度支持するBryan Wallace【10】の発見があるが、それは、金星表面のレーダー距離測定を1961年に行ったことである。データを解析すると、光の速度に対する一致性は見られず、どちらかと言えば、古典的なc+vの形に従う成分が見られたのである。また、興味深いことに、データは、日周的な、月の会合の変化を含んでいた。

 上記モデルは、Yuri Galaev 【11】により行われた実験によっても支持されている。彼は、光と同様にラジオ波を用いてイーサを検出するさまざまな実験を行った。

 一般的に言って、彼の結果はデイトン・ミラーの結果と一致していた。興味深いことに、地球表面から高くなるほど観測値は大きくなることが示された。これはイーサ搬送理論に一致している。

 彼は、イーサの粘性を測定することさえ試みようとしている。



イーサモデルの他の難しさ

 イーサモデルに対して人々が反対する主な理由の一つは、光の振動の特徴である横波の伝播に関係している。もし、イーサが固体であったとすると、光の速度で横波を伝送するためには、それは鋼のような硬さをもっていることが必要になるだろうと計算されてきた。一方、気体や液体は、通常、横波を伝送しない。

 しかしながら、よりきめ細かく吟味してみると、液体は実際に横波を伝送できることがわかった。このことを支持する最近の実験証拠がでているが、それは、超冷却したヘリウム、これは低温で超流体になるが、横波の音波を伝送するということである【12】。

 他の難しさ、例えば、光のフォトンか粒子かというような難しさも、イーサ・モデルの範囲内で説明される(我々の光の節を見よ)。

 イーサの概念に関する他の興味深い考えと展望については、文献【13】−【19】を見られたい。



イーサのワーキングモデル

 スタート点として、イーサを、液体に近い濃密なもの、時によっては原子核内の固体であると仮定しよう。それは、液体のように流れることができ、縦方向、横方向振動を運ぶことができる能力があるだろう。イーサ粒子は、亜原子粒子よりかなり小さく、おそらくもっと違ったタイプであろう。

 また、イーサは4次元に延長していると思われる。これは、電荷と物質の形成に対し満足的な説明を得るために必要となる。それは、また、重力と量子力学効果を自然的に描写することを受け入れてくれる。詳細は他の節を見られたい。

 イーサは、他の物質から離して考えるべきではなく、全ての粒子が形成され、それを通して物理的な力が発生する土台になっていると考えるべきである。



 References
【1】 Milan R. Pavlovic, “Einstein's Theory of Relativity - Scientific Theory or Illusion?", milanrpavlovic.freeservers.com
【2】 G. Burniston Brown, “What is wrong with relativity?", homepage.ntlworld.com/academ /whatswrongwithrelativity.html
【3】 Marcus Coleman, "The Trouble with Relativity", www.wbabin.net/physics/marcus.htm
【4】 Webster Kehr, "The Detection of Ether", http://www.teslaphysics.com/
【5】 Harold Aspden, "The Aspden Effect", New Energy News, Feb 1995, see www.aspden.org/papers/bib/1995f.htm
【6】 Thomas Valone, “Understanding Zero Point Energy", users.erols.com/iri/ZPEpaper.html
【7】 Haisch B., Rueda A., Puthoff H.E., “Physics of the zero-point field: implications for inertia, gravitation and mass", Speculations in Science and Technology, 20, 99-114 (1997), copy available at www.earthtech.org/publications/spec_sci_tech.pdf
【8】 Jacobson T. A. & Parentani R., "An Echo of Black Holes", Scientific American, p48, Dec 2005
【9】 James DeMeo, "Dayton Miller's Ether-Drift Experiments", www.orgonelab.org/miller.htm
【10】 Bryan G. Wallace, “Radar Testing of the Relative Velocity of Light in Space”, Spectroscopic Letters 2:361 1969
【11】 Yu. M. Galaev, “The Measuring of Ether-Drift Velocity and Kinematic Ether Viscosity within Optical Wave Bands", Spacetime & Substance, Vol 3 (2002), No 5 (15), pp. 207-224 www.mountainman.com.au/aether_6.htm
【12】 Lee Y., Haard T.M., Halperin W.P., Souls J.A., “Discovery of the Acoustic Faraday effect in Superfluid 3He-B”, Nature 400, 431-433 (July 1999)
【13】 Robert Neil Boyd, "Physics" www.rialian.com/rnboyd/physics.htm
【14】 Paul A. LaViolette, "Subquantum Kinetics" http://www.etheric.com/
【15】 R.F. Norgan, "Einstein was Wrong, the Aether Exists" http://www.aethertheory.co.uk/
【16】 David Wilcock, “The Divine Cosmos", http://www.divinecosmos.com/
【17】 Steven Rado, “Aethro Kinematics”, Aethron Publishing Company, Los Angeles 1994, see also http://www.aethro-kinematics.com/
【18】 Caroline H.Thompson, Website freespace.virgin.net/ch.thompson1
【19】 Gabriel LaFraniere, "Matter is Made of Waves" www.glafreniere.com/matter.htm







文献:

[3]http://www.esotericscience.com/AboutUs.aspx
[4]http://www.esotericscience.com/Aether.aspx






5. J. マグワイァのイーサ理論


   (July 6, 2013)

 下記は、文献[1]の抜粋・概訳である。

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ローレンツ[Wikipedia]

 イーサという考え方(パラダイム)は、20世紀中ごろの早期以来、タブー的なものになってしまった。

 イーサ理論は、とても頻繁に、アインシュタインの相対性理論と矛盾するものとして、特徴づけられている。

 しかしながら、非常に興味深いことに、アインシュタインの理論は、全部オリジナルというわけではない:

 彼の特殊相対論は、ローレンツのイーサ論から多くの相対論的概念(長さの収縮および時間のおくれ、などにおけるローレンツ・ファクター)を取り入れているのである。

 そして、実際の存在を空間それ自体に与えないのと同じように、イーサを“不必要なもの”と呼んだ。



  
アインシュタイン1921[Wikipedia]

 1905年のアイシュタインの特殊相対論(SRT)と、次の10-20年における一般相対論(GRT)のあいだの中で、彼は、空間を(メトリック・テンソルで定義される)構成要素の間のダイナミックな関係のネットワークとして定義する少なくともマイルドな形態のイーサという概念に戻っていたように見える。

 同様に、我々が理解することになりつつある新しいイーサが、フィードバックとダイナミック・アクテイビティの永久状態の中に現れてきた。

 しかしながら、しばしば、イーサは、静的であり、動的ではなく、宇宙的フィードバックに支配されない絶対空間というニュートンの概念に関係しているとされ続けている。

 アインシュタインの特殊および一般相対論は古典的(受動的)ニュートン的イーサを払いのけて、群論と微分幾何学の特殊法則に従う相対的(力学的関係の)時空間フィールドで置き換えた。アインシュタイン自身が、オランダのライデンにおける講義で、下記のように言ったように:



 “イーサの概念は、クリアな内容を、もう一度獲得した。一般相対性原理におけるイーサは、それ自体、あらゆるメカニカルで力学的な性質を奪われた媒質である。しかし、それは、メカニカルおよび電気力学的な出来事を決めることにおいて貢献している。”


 1930年代にディラックによって量子力学とSRTとの調和が、アインシュタインが空間の古典的な物理的記述を完全に捨てることができなかったのと同じ方法で、計られたとき、ディラックは、何気なく負エネルギーの陽電子ホールの“ディラックの海”という彼の概念でイーサをよみがえらせた。

 当然、ディラックの海は、ハイゼンベルグとパウリにより特に辛辣な攻撃を受けた。彼らは、それは客観的な物理的実体ではなく、比較的数学的抽象のようなもので、世間で人気の実証主義者による空間の説明に対する脅威であると認識した。



 本エッセイでは、あなた方読者にイーサの真の性質のよりよい理解を提供するための探査を行いたい。

 19世紀の終わりころの流体力学的なイーサの概念は、数多くの複雑なモデルによって影が薄くなっていた。

 新しいイーサは、古典的な欠点(相対性と量子の問題)を一掃することを成し遂げると同時に、よく認められ、証明された科学的集大成を包み込んでいる。

 ここで、私が最も有望であると考えるいくつかのモデルの簡潔なリストを示す試みをしてみようと思う。





1) ゼロポイント・フィールド


 フリーエナジー・ファンに最もよく参照されるイーサモデルからスタートしよう。

 初めにそれとなくほのめかしたが、量子真空の最近のモデリングのルーツは、1920年代からのポール・ディラックの研究の中にある。

 電子を含んだ彼の計算に関する無限大問題を取り除く試みにおいて、彼は、いかなるある一つの時間においても、一つの量子(電子)により占有され得る空間内の格子のホールとして記述される電子の反粒子の存在を導き出した。

 彼は、これらの仮定の反粒子ホールを“ポジトロン”と名付けたが、後にすぐ実験的に確認された。それによってディラックはノーベル賞を得た。



  
[1]
しかしながら、ディラックオリジナルの電子‐陽電子の海のモデルは、ハイゼンベルグにより、ハイゼンベルグ自身の不確定性原理(HUP: Heisenberg's Uncertainty Principle)により定義され大幅に管理された性質をもつ仮想粒子の充満空間として再構成された。

 HUPは、空間の量子ゆらぎは、量子的存在の未知のコンプリメンタリーな性質(時間あるいはエネルギー、ポジトロンあるいはモメンタム)により支配されている(そして理論的に保存されている)。

 そう。お分かりのとおり、イーサは生きている。量子力学の標準モデルの中に生きているのである。熱意のあるフリーエナジー研究者の注目を真に引くものは、ゼロポイントの基底状態における量子真空エネルギーである。

 ゼロポイントの真のエネルギー密度に関する推論と考察は、いまだ続行中ではあるが、理論体系が他の全ての目に見える物質とエネルギーを有していなくても、身の周りの環境のエネルギーは、断固として存在する。

 保守的な理論家達(QED, SED, Haische, Puthoff, Boyer)は、ゼロポイント・フィールド(ZPF)を、宇宙の全物質‐エネルギーのあいだに発生した宇宙学的フィードバックメカニズムの副産物か未解決の効果とみなしている。

 他の理論家達(例えば、Sarfatti, Funaro, Hotson, Rowe )は、ZPEを、光量子螺旋粒子(電子、陽電子)を形成するような新古典的プライマリ実体として、および我々の観測可能な3D空間の中に対称破壊エネルギー集積場(量子ゆらぎ、暗黒エネルギー)として見ている。…



2) モデルG,運動イーサ


  
[1]

 この特別なイーサモデルはアメリカの物理学者Paul LaVioletteにより展開された。LaViolette博士は、ジョン・ホプキンズ大学の物理学学士号を得た。そして、ポートランド州立大学からシステム理論の博士号を授与された。

 彼は、最近、非営利団体Starburst Foundationの理事である。彼は、彼の理論を1970年代より展開し続け、1980年代に、 International Journal of General Systems誌に正式に掲載した。

 運動イーサー(kinetic ether)は、 Subquantum Kinetics(副量子力学)として知られているPaul LaVioletteの基本的要素(すなわち、マイクロフィジックス/宇宙学)への一般的システム研究である。

 モデル G の枠内で、イーサは、仮定されたイーサロン(Etherons)からなる変質する運動グラジエント・フィールドに類似した振る舞いをする。LaViolette博士のイーサは、フィードバック主導の変質開放系として考えることができる。…






3) 液晶イーサ

  
[1]

 このイーサモデルは、英国の物理学者ハロルド・アスプデン(Harold Aspden)の発想である。アスプデン博士は、ケンブリッジのトリニテイ大学から博士号Ph.Dを得た。特許取得者。IBMに特許弁護士として20年間従事していた。

 彼は、2011年に亡くなるまで、1955年から50+年以上も彼の理論モデルを展開し続けた。動機は主に、博士課程において強磁性の研究したことによるものであった。

 彼のイーサモデルを用い、その第1原理から動かして、アスプデンは、計算技術やその利用に先立って印象深い多くの数値を導出したり予言できた。

   彼は、陽子‐電子の質量比を正確に導出できた。彼は、微細構造定数の値を、その発見の数年前に正確に予言していた。また、彼は、陽子の磁気モーメントを高精度で予言した。

 彼は、イーサを、それが動的な液体状連続体として振る舞うと同時に結晶構造を思わせるあるふるまいを示すことから、“液晶”に見立てた。

 彼は、イーサを記述するのに、量子場理論からかなり多くの用語を拝借している:

 したがって彼のモデルは、“ハドロニック”イーサのための枠組みを定式化する初めてのシリーズの試みとして、歴史的に観ることができる。

 アスプデンは、イーサは電気的に電荷を有する実体だが、全体としては中性であるとみていた。それは、シンクロナイズした格子構造を形成し、電磁気的参照枠を定義するquonsからなる。バーチャルな“muon”は、内部参照枠を定義し、粒子の生成を助け始める。そして、バーチャル“tauons”が、muon連続体と対になって動くグラビトンとして作用する。






4) 宇宙のニュートリノ・バックグラウンド

 オーストラリアの電子技術師ウォラス・ソーンヒル(Wallace Thornhill)およびドイツの物理学者コンスタンチン・メイル教授(Konstantin Meyl)は、ともに、宇宙全体に広がるとてつもなく大きいニュートリノの放射は古典的イーサになぞらえることができるという考えを固持している。

 宇宙ニュートリノ・バックグラウンドおよび、星々からひっきりなしに放射されるユビキタス・ニュートリノは、ともに、標準的宇宙論の集大成の中で、よく樹立されている。

 ニュートリノは本当に奇妙である: 電荷は認められず、質量は小さく、そしてマジョラナ(majorana;それ自身の反粒子として作用する)の性質を有するようである。

 ソーンヒルは、概論で、以下のように述べている。

 “無反応のニュートリノの広大な海は、長く議論されてきた宇宙に充満している“イーサ”であり得る。宇宙は空虚ではない。だから、我々は、光の伝播のために電気的に反応する媒質をもち、その媒質における電気的妨害の特性速度がいわゆる光速,Cである。

 [電気的宇宙]モデルの中で、電子と陽電子はサブトロンというサブ・クオークの種類から構成されているので、これらのバーチャル粒子は、真に消滅はしなくて、どちらかと言えば合併し、そのエネルギーのほとんどをフォトンとして放出し、その状態をニュートリノに変える。”




 粒子対が完全に互いを消滅させるかどうかに関する疑問も、理論物理学者メンデル・サックス(Mendel Sachs)により深く考察されていた。

 彼は、決してニュートリノの生成を、この過程の副産物とみなしてはいなかったが、粒子の消滅は、イリュージョンであり、深く結合したゼロエネルギー対(これのみ、それらの存在の間接的ヒントを提供する)が宇宙に浸透していて暗黒物質として我々が言及しているものを構成しているようであると信じていた。

 同様に、アレン・ロスウォーフ博士およびフレデリック・デイビッド・トンビーは、ともに、これに類似の結論に達している。

 そして、コンスタンチン・メイル博士の見解は:

 “ニュートリノは、【フィールドの配置】(field configurations)であり、空間を通して【ソリトン】のように動く。それは、パウリにより、質量はないが、ベータ崩壊に対するエネルギーのバランスシートを満たすことが可能な、エネルギー搬送粒子として導入された。ニュートリノ放射をエネルギー源として実際に用いることよりも明白なものはないであろう。”







5) 電気的ダイポールの海 (Electric Dipole Sea)



 フレデリック・デイビッド・トンビーは、イーサ・メカニクスに関する論文を60編以上も書いた英国物理学者である。彼のモデルは、C. Maxwell, John Bernoulli, および E.T. Whittakerにより考えられたような古典的概念のイーサを思い起こさせる。

 トンビーは、イーサはダイナミックで、伸展可能で、圧縮可能であると認めていた。彼は、全てに浸透している液状連続体は、微小なダイポールの渦になり、それは膨張しようとするとき遠心力で互いに押し合う、と仮定した。

 これらのダイポールの渦は、回転している電子‐陽電子のダイポールを構成する。このことから、イーサ渦の海は、電子‐陽電子の密度の濃い電子の海に等価である

 トンビーは、。電子をイーサ・シンク(吸い込み)に、陽電子をイーサ・フォント(源泉)と観ていた。それらは、互いの周りを回転して、それら自身の周りにイーサ流体を載せて運ぶ渦を形成する(ポシトロニウムのように)。

 これらのダイポール渦は、また、二重らせんのパターンを作り、それは磁力線を形成することになる。(訳注:このハイパーリンクは、世界的に有名な日本の物理学者外村彰氏の素晴らしい英語講演である。ぜひ、クリックされたい。)

 トンビーによれば、このモデルは、それが、ディラックの負エネルギーの海に類似に見えるとはいえ、マックスウェルの古典的イーサから最も大きく引っ張ってきている。






6) 他の注目すべきモデル

I) イスラエルの教授M.シンホニーのキュービック・スペイス・ラティス(EPOLA)

 これは、アスプデンおよびホットソンのどちらとも独立に展開されたが、全ては、イーサの3次元格子構造と動的な振る舞いに関して類似の結論になっている。シンホニーは、彼のモデルをイーサと、あからさまに同一視はしなかったが、次のように認めている:

 “EPOLAは、誘電体イーサに対するファラディの探求および1873年に出版されたマックスウェルの方程式に対する力学的な基礎を満足させたであろう。”


II) パウロ/アレクサンドラ・コリア(Paulo/Alexandra Correa)のアンバイポーラ・イーサ

 これは、カナダのコリア夫妻チームにより展開された モデル(特許)である。(略)   
[1]


III) P.テワリのSpace Vortex Theory:

 インドの原子力技術者P.テワリによる考え。(略)   
P.テワリ






結論

 上記モデルは全て、我々がイーサを理解するのに何らかの意味深い貢献をしてくれている。それらは、明らかに互いに異なっているとはいえ、それぞれのロジックと系統的論述において、きわめて厳密な論述である。

 このことのみならず、それらの間には、イーサの真の性質の統一的描画にいつかは到達する可能性を示す重要な共有性がある。残念ながら、ここに提供した概観では、興味深い有望な理論を完全に説明できていない。…



文献

[1]ブルーサイエンス.org










6. 動的実質的宇宙論的イーサ by デ・ミオ博士


   

 下記は、J.デミオ著: 「動的実質的宇宙論的イーサ」updated 2015の抜粋・概訳である。

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要約:

 高感度光干渉計を用いたデイトン・ミラー(c.1906-1929) のイーサ・ドリフト実験は、系統的な肯定的効果を示した。それに引き続いて行われたマイケルソン・ピース・ペアソン(1929)、ギャラエフ(2001-2002)、その他の研究者による実験研究はミラーの結果が正しいことを確認した。

 ミラーの結果は、以下のことを示唆している:
  1. 宇宙論的イーサは、わずかな質量をもつ実体であり、周囲環境の密度の高い物質により阻止されるか反射される。

  2. 地球によるイーサ搬送(ether entrainment)が起こる。それは、標高の高い位置で、最もよく観測できる。

  3. イーサドリフトの地球の正味の運動のミラーの計算された軸は、恒星日および季節的恒星変動に類似のイーサ状現象の点で生物学及び物理学を含む広範囲の分野からの発見と密接に一致している。

 触れることができない静的な、あるいは触れることができ搬送可能であっても、不活発なイーサは、そのような結果と調和可能である。宇宙の“根本的運動体”としてのダイナミック・イーサは選ぶべき解答であるが、これは、イーサが、わずかな質量をもち宇宙で特定の運動をしていることを必要とする。

 答はウイルヘルム・ライヒ(1934-1957)のバイオエネルギー的研究の中に見つかる。ライヒは、明瞭な生物学的および気象学的性質(高真空中に存在していて、物質と相互作用し、金属で反射し、自己吸引(例えば、重力的)のらせん形の流れ運動)をもつエネルギー連続体を示した。

 Giorgio Piccardi (c.1950-1970) および彼の支持者達も、宇宙を通る地球の螺旋運動に関係した、水の物理科学、化学反応および放射性崩壊に影響を与える、金属で反射し太陽で変調されたエネルギーを示した。

 “暗黒物質の風”の年変動に関するさらに最近の研究も、運動している太陽のまわりの地球の螺旋形の運動に関係している非常によく似た変動を示している。このことは、暗黒物質は、ダイナミックな実質的な宇宙論的イーサに対して誤解された名称(代わりのもの)であることを示唆している。(訳注:平たく言えば、暗黒物質とはイーサのことであると示唆している)


1900年代における肯定的結果のイーサ・ドリフト実験



 デイトン・ミラーの研究は、1902年から開始したエドワード・モーリーとのクリーブランド・ケイス・スクール(現在ケイス・ウエスタン・リザーブ大学)の実験、および1926年に終わるウイルソン山実験で、各年の異なる月に行われた、200,000を超える観測値を得たマイケルソン型光干渉計の1,2000回を超える実験で、肯定的結果を得た最も驚くべきイーサ・ドリフト実験[1]として、傑出している。

 また、ミラーは、1922年から1954年にかけて、ケイス・スクールの物理学部において、厳重なコントロール実験を行った。ミラーの干渉計は、4.3m長の鉄製十字アームであり、高さ1.5mで、容易に、またスムーズに回転できるように水銀タンクの中に浮かしてあるという、かって建造されたものの内、最も大きく感度最大のものであった。

 十字アームの各端にミラー(合計4個セット)を取り付けてあり、光線を水平方向に16回反射し、往復の合計64mの光路であった[2]。

 また、ミラーは、実験を進めているときに、以前マイケルソン・モーレイ(M-M)により観測された小さな(しかしゼロではない)結果からして、高い位置における測定を必要とし、光路は空気に解放されていて,光路を覆う壁は軽い物質で覆われている構造内でのみ起こる地球運搬(earth-entrainment)効果に確信に持つようになっていた。

 キャンバス、ガラス、あるいは軽い紙のカバーのみミラーの干渉計の光路に沿って用いられ、あらゆる木、石、金属のシールドは除かれた。

 彼のウイルソン山での実験は、従って1800mの高度で付近に地形的障害物のないところに建設された特殊シェルターの中にて行われた[1,2]。

 比較であるが、最初のM-M干渉計は、たった22mの往復光路にすぎなく[3, p.153]、実験はクリーブランドのケイススクール(高度〜300フィート)における大きい石の建物の地下の基礎中に、不透明な木製カバーで覆った装置を用いて行なわれた。

 よく誤引用されるM-M実験の掲載論文の結果は、彼らの干渉計の総計たった36回実験で、4日間(July 8,9,& 12, in 1887)で、たった6時間のデータ収集を反映したものである。そうであってさえ、M-M実験は、わずかな肯定的結果を得ている。そして、“不確かさ”を避けるために、年の異なる時期において、さらなる実験が必要なことを示していた。

 ミラーは、M-Mの約3倍の光路感度で、333倍の往復数の干渉計を用いた[2]。1928年までに、光干渉計における彼の観測で、〜10km/secの変位を得たことにより、ミラーは、地球は208km/secの速度で、天の北半球の頂点に向かって、竜座の方向に運動していることを算出した。 (right ascension of 17 hrs (255°), declination of +68°, within 6° of the pole of the ecliptic, and 12° of the Sun's apex of rotation.)[4]

 1933年までに、以下に考察した理由により、彼は、見方を変え、彼の速度とドリフト軸の計算は正しいが、軸に沿っての運動方向は、天の南半球の頂点で、かじき(旗魚)座に向かっている(right ascension 4 hrs 54 min., declination of -70° 33' (south), in the middle of the great Magellanic Cloud and 7°from the southern pole of the ecliptic.)、と論じている。[1, p.234]

 ミラーが生きている間は、ミラーの研究には、アインシュタインも含めて、重要な考慮がなされていた。 アインシュタインはミラーの結果が彼の相対性原理に脅威をあたえるものということを正しく理解していたのである(2, p.114)。

 続いて他の人たちによる研究は、マイケルソン自身も含めて、一般的にミラーと共同研究することであった。例えば;

  1.  1920年代の遅くに、マイケルソン・ピース・ピアソンの3人(M-P-P)が、マイケルソン型十字干渉計を用いた実験において、初めの二つの実験では22mおよび32mの往復光路の干渉計を用いた。しかし、低い高度において、“予想される大きさの変位”は得られなかった。

     第3の試みではミラーと連絡をもっとよくとって、光路52mの干渉計を用いたウイルソン山における実験を行い、〜20km/secより大きくはない変位とはいえ肯定的結果が得られた。

     しかしながら、彼等(M-P-P)は、明らかに、アプリオリ により、また実質的地球搬送イーサ(earth-entrainable ether)を正当性もなく拒絶して、この実験結果を棄てた。彼等は、もっと大きな結果を期待していたのである。

  2.  1932年にケネディとソーンダイク(Kennedy-Thorndike)は、〜24km/secという結果を報告したが、彼らも実質的地球搬送イーサをアプリオリ的に捨て、彼らの結果は“何もない”と、偏見的に主張した[6]。

  3.  1929年に、M-P-Pは、標準的“光速”測定を行ったが、地上に横たえた、ある程度の真空にした1マイル長のスチールパイプの中で測定した。しかし、イーサ・ドリフトの検出に対しては、この無愛想な環境中でさえ、彼らは〜20km/secの変化を観測したが、それは新聞記者に話しただけであった[8]。


  
Fig.1 グローバル・イーサ・ドリフトの平均の速度および方位角。
ミラーのウイルソン山実験(1928), by DeMeo.

上段: 四つの季節期間の測定からのイーサ・ドリフトの観測された大きさの恒星時間による平均的変化。極大のイーサ速度は、恒星時〜5時で、極小速度は恒星時〜17時で起こる。

下段: 恒星時による平均方位角の読み値。ベースラインは、ミラーの改定版季節平均からとった[4, p.365; 1, p.234]。四つの季節時期に対する平均は、ともに、北の西側23.75°の平均変位を発生するが、これは地軸の傾き23.5°に非常に近い値である。一致?


 マイケルソンが1931年に、ミラーが1941年に亡くなったあと、イーサ・ドリフト、および搬送可能な実質的宇宙論的イーサへの疑問は、ほとんど沈静化してしまった。

 科学の世界は、アインシュタインと彼の相対性理論の導くところに従うようになった。相対性理論では、実体のある性質(光速の変化がずっと小さい)[9]をもつ、いかなるイーサとも関係ない空間を要求していたのである。― 肯定的結果を生じたイーサ・ドリフト実験は、あたかもそんな実験が実行されなかったかのように、安易にも決して言及されることはなくなってしまった。

 最後に、1955年に、アインシュタインの奨めにより、ミラーの教え子であるロバート・シャンクランドが率いるチームが、ミラーのイーサ・ドリフトのデータを再解析を行った。しかし、それはひどく偏見に満ちた出来の悪い無能力者による解析であるとだけ言われている。[10]

 ミラーのデータには、高度に構造化された重要な特性があるのに、この最重要な考察点については、シャンクランド・チームは無視した。データは、四つの季節時期の全てに対し、イーサードリフトに対する恒星座標の同一セットを指しているのであって、大きな実際の宇宙論的影響を示している[4, pp.362-363] 。― もし同データを市民時(常用時)で書き直せば、ドリフトは消えてしまうのである。

 私は、既に、シャンクランド等によるミラー批判の問題点については、考察してある。したがって、ここでは、それを繰り返すことはしない。ただ、偏見のあるデータ抽出に基づいて、ミラーはニセであると非難した彼らの主張を強調しておく。彼らのデータの抽出は、ミラーが既に数年前に退けた否定的結果の推測および基本的イーサ・ドリフト干渉計測の誤解のデータからである。

 1990年代の遅くに、モーリス・アライス (Maurice Allais)も、ミラーのイーサ・ドリフト研究の再研究を行ったが、そのとき彼は、日食の間の振り子の異常な振る舞いに関する彼自身の研究に彼が関係させたミラーのデータにおける付加的な非ランダム性パターンを発見した。[11]

 ミラー以来の最も重要な発展は、ウクライナのRadiophysics and Electronics研究所のユリ・ガラエフ(Yuri Galaev )の実験である。 ガラエフは、ラジオ周波数[12]および光波バンド[13]を用いて、イーサ・ドリフトの測定を独立に行った。

 彼の研究は、ミラーの研究結果を細部に至るまで確認したばかりではなく、地球表面からの高さによるイーサ・ドリフトの増加という計算結果を得た(標高1mあたり8.6m/secと計算された)。

 ミラー自身の標高依存性の結果は、ウイルソン山におけるイーサ・ドリフトの速度は、開放宇宙空間の“イーサ風”の推算速度の〜5.14%であることを示唆していた(ミラーの減衰ファクター“k” [1, p.234-235])。その季節的及び恒星日変動は下記のとおりである。

 これらの実験は、すべて、流体的媒質であって、地球表面に接近して動くときは搬送されるか遅くなる実在の媒質としての古き概念の宇宙論的イーサを示唆している。

 イーサのこの基本的性質は、それは繰り返し実験結果に表れているのだが、わずかな質量をもち、したがって物質と相互作用する流体的実質的媒体である。それは、進路を妨害する物質により速度が遅くなり得るし、従って妨害物質にわずかな運動量をあたえるかもしれない。このことは、現代宇宙論にイーサ理論を統合するための中心的に重要な点である。

 我々は、これらの結果から直接モデルを構築できるかもしれないのであって、それは、相対的に湾曲した時空間、あるいは我々の物差しでローレンツ型収縮のようなメタフィジカル(抽象論的)な構造の参照枠を必要とはしない。

 そうすると、“希薄な”実体だが、それにもかかわらず測定可能な実体の宇宙論的現象を発見したミラーのような他の研究者達を参照しなければならない。



ライヒのダイナミックなイーサ状オーゴン



 1934年から1957年にかけて、ライヒ(Reich)は、オーゴン(orgon, 日本ではオルゴンと読まれている)と呼ぶユニークな形態のエネルギーの存在を記録した実験報告シリーズを発表した[15,16]。彼の結論では、オーゴン・エナジーは、生きている生体器官の組織を充電(charge)し、生命プロセスにおいて基本的な役割を演じるとしている。

 それは、また、仮説のオーゴン・エナジー連続体のように、大気の海のなかに自由運動的動的形態で存在する。それは、高真空の中にも認められ、宇宙空間にも存在すると推測されてもいる[18]。ライヒのオーゴンは、ミラーのイーサに驚くほどよく似ている。以下のとおりである。



A) 質量のないオーゴン・エネルギーは、まるで宇宙のイーサのように全空間(宇宙)をみたしている。しかし、それは一定の法則による運動である。ある場所では希薄になったり減少したりする一方、他の場所に集中したり集積したりして、流れたり循環したりする運動である。

 オーゴンは、物質を容易に通り抜ける。また、物質と弱い相互作用をもつ。金属は、それを素早く放電(放電とは放オーゴンのこと、つまりオーゴンを反射のことで電子を放出する意味ではない。−訳注)し、反射する。この性質を用いて、特殊な金属−誘電体容器(オーゴン・エナジー蓄積器)の製作が可能となった。

 オーゴン・エナジー蓄積器は、自発的な熱発生、箔検電器の放電、オーゴンをチャージした高真空真空管とガイガー管内の異常なイオン化効果などのような異常物理現象のほかに、植物成長の異常促進、組織の再生、おおび治療効果を引き起こした[16,19-22]。

 彼の実験による殆どすべてが、他の研究者達によりそれぞれ独立に再現され確認されている[22]。

 

B) 地球のオーゴン・エナジー圏は、地球の回転より速く西から東へ回転していて、大気内でSWからNEへ動く離散的エネルギー・ストリームの存在があるという彼の観測に基づいて、ライヒは、宇宙空間内でオーゴンの大きな螺旋ストリームの存在を主張した。

 彼は、銀河系の平面に沿った一つのストリーム(銀河系ストリームと呼ばれる)、と太陽系黄道面および地球の赤道に平行に流れる第2のストリーム(赤道ストリーム)に気づいた。さらにライヒは、大気観察と望遠鏡の観察に基づいて、コズミック・エナジー・ストリームは、互いに吸引しあい、螺旋形に重なりあい、コズミック・エナジーの実体から新しい物質を作るべく濃縮するということを論じている。

 ライヒは、これらの螺旋形の波の形態に、ドイツ語のKreiselwelle(スピンする波、あるいは文字通り“ジャイロ波”)という前を付けた。それは、いろんな生物学的、大気的、および宇宙的な動きの基底部の支えになっていると信じていた[18,23]。

 ライヒの宇宙の重畳理論[18]によれば、惑星各軸の周りの回転、太陽の周りの惑星の回転、および惑星の周りの月の回転は、すべてコズミック・エナジーの巨大重畳ストリームの産物である。



C) ライヒは、ミラーの研究を決して引用しなかった。しかし、彼は、古いイーサ理論は“有用な概念”であると考えていた。ミラーのように、彼も標高が高いほど、オーゴンエナジーは早く動き、活動的であることに気づいていた。そして、彼は、太陽黒点増加のピークと同様に、北半球の春分点を、増加したオーゴンエナジーのチャージと活動の時間であると確認した。

 彼の発見と宇宙の重畳の理論は、動く星(複数)と軌道を回る惑星(複数)は宇宙において大きな開いた螺旋形を描くという点で、認められている天文学ととてもよく一致している。しかしながら、この事実には、特別な強調は置かれていない。たったごくわずかな教科書がそのことを述べているにすぎない。

 ライヒは、対照的に、重力と振り子の振る舞いに関する彼自身の特別な関数方程式を、スピン波動およびエネルギー豊富な実体で満たされた宇宙空間の洞察に基づき導き出した[25]。

 彼の発見は、動的イーサの概念に高度に融和性がある。動的イーサは、また、“宇宙の原動力”である役目を満たしているであろう。しかし、静的あるいは不活発で固定したイーサの概念ではないし、ミラーの受動的地球搬送イーサでもない。

 ライヒの宇宙は、コズミック・オーゴン・エナジーの流れと脈動のストリームにより生かされていて、このストリームは、あたかも水の上に浮いたボールが水の波で動かされるように、惑星と太陽(複数)をそれらの路にそって動かしている[18]。



イーサ: 静的、地球搬送、動的?



 アイザック・ニュートン以来、多くの物理学者が、イーサは静的で淀んでいて動かない現象− 宇宙を通して存在してはいるが、本質的に不動の固定的バックグラウンド的媒質のようなもの、として考えていた。

 静的イーサあるいは“絶対空間”というのは、ニュートンにとって必要なものであった。彼は、光を伝送できる能力を除いては、全ての明確な特性を基本的に除いたのである。これは、彼の運動の法則の数学的表現を彼の理論体系に合わせるためであった。

 ニュートンは、科学と教会との間の分裂を調停することに動機があったようである。教会は、ガリレオ以来、神以外に宇宙を動かす原動力をもつ概念の宇宙を排除した。

 これ以来、イーサは、死んで、静的な、不動の性質(これが天空の運動に影響を与えるかもしれない)をもつと宣言された。そして、神は失業前線から解放された。全宇宙の運動の根源としての彼の役目は失ってはいない[24]。この観点は、彼の数学から明らかなのではなく、基礎をなす哲学の一部分なのである。

 したがって、M-Mおよび他の多くの研究者は、地球がイーサの中を素早く動くとき、イーサは搬送されないだろうという実質的でないイーサをいつも探したのであるが、それは決して検出できなかった。

 実際、ミラーの考えは、ただ地球搬送現象と、実験データが示した密度の高い物質によるイーサ反射能を説明するために必要とする限り、静的イーサの概念から分かれた。ミラーのイーサは、地球表面で搬送されるに十分な実体をもつ流体であるとはいえ、淀んでいて流れてはいない。

 したがって、彼は、M-Mの予備実験の結果を決して受け入れることなく、高い標高で異なるいくつかの季節においてイーサ・ドリフト実験を行う方向に向かった。1933年までに、彼は、地球は、静的だが地球搬送イーサを通して、黄道の南極近くの旗魚座に向かって突き進んでいると結論した。しかし、この考えは、常に大きな矛盾の種を含んでいた。

 もし、イーサが、静的あるいは動かないが、わずかな質量を持っていて、したがって、物質と相互作用でき、地球表面に沿って“搬送”される明確な“実体”であると仮定すると、定義によって、この“搬送可能なイーサ”は、長い年月の間、惑星の運動にブレーキとして働くだろう。

 十分時間が経てば、そのような搬送可能でも基本的に停滞したイーサは、そのうち、天体の動きを止めてしまうだろう。宇宙が機能するためには、静止しているが搬送可能なイーサの“ブレーキ”作用に対抗するために、全ての宇宙運動を作る他の独立なエネルギーの力を仮定させられる。

 あるいは、イーサの全ての実体性を排除し、抽象概念で表わさなくてはならない。そうすると、ニュートンと非常によく一致する仮定(宇宙運動をコンスタントにリフレッシュするために、イーサのほかに、自然界における逆の力の必要性)あるいは、少なくとも一つの“ビッグバン”においてスタートしたすべてのものを得ることに戻ってくる。

 我々は、何か形而上学的原理、通常の重力的な力以上の何か、を発動せざるを得ないが、それは搬送可能で静的なイーサの長期にわたる“宇宙論的ブレーキ”を完全に克服するのに不十分であるように思える。あるいは、イーサは、抽象的で、実体のないものとしなくてはならない。

 第三の解答、それはニュートン、マイケルソン、ミラー、アインシュタイン、およびライヒを除くほとんど全ての人たちによって、きっぱりと避けられたであるが、宇宙論的イーサに、物質的で実質的な性質のみならず、螺旋形運動の動的性質を与えることである。これは観測された宇宙の運動を反映している。



ミラーの1933年結論に対する1928年結論



 ミラーとライヒのあいだには、驚くほどの一致性がある。Fig.2は、ミラーの観測結果による結論を大雑把に示したものである。Fig.2の地球上のマーク“X”は、一日中の異なる位置における干渉計を表している。地球が回転するとき異なる角度の干渉計の十字線を、イーサの流れが、どのように横切るかを見ることができる。

  
Fig.2 地球とイーサの相対的運動, by DeMeo.

 地球は、受動的、静止的イーサを通して南に突き進んでいるのか? あるいは、ライヒに類似の動的イーサが重畳する螺旋波動のなかで北に流れ、それとともに地球ー太陽系を運んでいるのか?

 図の地球上のマーク“X”は、日内の異なる時間におけるミラーの十字型干渉計を示しているが、イーサ風の方向が常用時にいかに依存して変化するかを示している。しかし、恒星時座標依存性は比較的一定のままである。


 上述のとおり、ミラーの1933年の最終的結論は、地球は、黄道の南極に近い、旗魚座付近の点に向かってドリフトしている、ということであった[1,p.234]。しかしながら、初期の1928年になされた同じデータからの結論は、イーサ・ドリフトは同じ軸に沿って動いているが、方向が逆で黄道の北極に向かっている[4]。

 北極の頂点のミラーの初めの計算は、イーサ・ドリフトの動的理論と矛盾はしない。その場合は、イーサは、旗魚座から通常黄道の北極(竜座)に向かって動く。太陽‐地球‐月のシステムをそれに沿って運ぶ動きはイーサ速度の小さな部分だけだが、地球搬送により検出できる(〜10km/sec)。

 干渉計だけでは、彼が書いているように、“…イーサに関する地球の動きの線が生じるが、この線上の動きの方向を決定はしない。”[1,p.231] 現在、受け入れられている太陽の運動の方向は、竜座、ヘラクレス、白鳥座により作られた小さな三角形の中間のなかに存在すること座の中のベガに向かっている。

 これらの星座はすべて、黄道の北極、およびイーサド・リフトのミラーの北極にかなり近い。太陽系が、銀河の腕の一つの巨大な掃引エネルギー運動の一つに捉えられて螺旋運動しているかのように、それらは銀河の平面に近いところに見つかっている。Fig.3とFig4は、これらの関係を示しているが、それに下記の構造とパターンが追加できる。

 ミラーのデータは、彼のウイルソン山の四つの異なる月の期間による恒星時および季節変動による時間的変化を示す速度計算を与えている。それは、以下のとおりである:

  恒星時変動: ミラー 1928 (Fig.1参照)
    極大速度〜10 km/sec at 恒星時 5時
    極小速度〜6-7 km/sec at 恒星時17時


 イーサ・ドリフト速度の恒星時変動は、17時における干渉計上への地球の質量のシールド効果および5時におけるイーサ・ドリフトの極大値観測時の干渉計の向きによるものとして最もよく説明できる。

 Fig.2からこの大雑把な近似を得ることができるかもしれない。そこでは、気球の図のずっと左側にある干渉計を示す“X”がイーサ風にフルに曝されている。しかし、ずっと右側の“X”は地球の質量により大きくシールドされているのである。

 実際、ミラーの測定した速度および方位角の恒星日の変動は、そのようなパターンに従っている。[25, p.142-143]

  季節変動:  Miller 1933 [1, p.235]
   15 September  9.6 km/sec
   2 December   極小速度
   8 February   9.3 km/sec
   1 April     10.1 km/sec
   2 June     極大速度
   1 August    11.2 km/sec

 イーサ・ドリフト速度の季節変動は、地球と太陽の結合した運動、および銀河を通る太陽の並進運動の結果としても容易に理解できる。

 Figs.3-4は、既知の天文学に合わせて、ミラーとライヒの宇宙論的考えを結合して得られたものである。4月から8月までは、地球はかなり大きな距離を移動するが、12月から1月までは比較的少ししか移動しない。Fig.3で、例えば、3月21日から9月12日までのB-C-Dは、9月21日から3月21日までの期間のD-A-Bの約2倍である。

 地球は、春分の日付近からスタートして、極大速度にまで加速する期間(B→C)がある。それに続いて減速する(C→D)が、ここで、地球は、宇宙のバックグラウンドに関係して比較的ゆっくりと動く領域に入る(D-A-B)。サイクルが終わると、次の3月で急速な加速が起こる。

 それは、地球に運動量を与え、3月のすぐあとの月において銀河系中心に向かって加速し、地球が9月以降銀河中心から遠ざかるとき減速する強烈なエネルギー波動あるいはパルスの存在の印象をあたえる。

  
Fig.3 動いている太陽の周りの地球の螺旋運動, by DeMeo.

 地球は、9月−3月(D-A & A-B)の期間よりも3月−9月(B-C & C-D)の期間の方が大きな距離を移動する。1年間におけるこの加速と原則は銀河の中心に向かう運動か遠ざかる運動かに関係している。

 図には、ミラーのウイルソン山実験から得たイーサ・ドリフト速度の季節変動の測定値(kps=km/sec)が示してある。…  
 

 ライヒは、回転している銀河面と地球の赤道面の間の角度62°という関係とともに、地球の速度のこの変動を記している[18,25]。同様に、黄道の太陽系平面も、ベガに向かう太陽行路に〜60°傾いている。

 そして、ミラーのイーサ・ドリフト測定の中に角度の関係の類似の組が存在している。彼は“…角度約60°で前後に振れている…”と述べている[4,p.357]。ミラーとライヒは、共に、彼らのそれぞれの発見において、宇宙空間を通る地球の類似の並進運動を強調している。



  
Fig.4 太陽−地球系の螺旋運動, by DeMeo.

 地球は、らせん状に太陽の周りを動き、太陽はベガに向かって動く(夏至のときの配置で示してある)。竜座は黄道面の北極の大体の位置に記してあるが、イーサ・ドリフト(“X”において)のミラーの算出された軸の北極の約7°以内にある。黄道面は太陽の行路から約60°傾いている。[25]
 



ピッカーディの生物気象学および“暗黒物質”



 イタリアの化学者、ジョージオ・ピッカーディ[26]が、実験室で一定の環境条件下(例えば、溶液からビスマス塩化物の沈殿)で位相変化に対する宇宙の影響実験を行ったところ類似の観測結果が得られた。ピッカーディは、したがって、太陽の周りの地球の螺旋運動が、彼の実験において、北半球の春‐夏期間にピークをとる異常季節変動を与える決定的要素になっていると結論した。

 ピッカーディの異常な宇宙ファクターは、ライヒのオーゴン・エナジー集積器あるいはミラーのイーサ・シールドに非常によく似ていて金属の囲いで影響され、地球上全体的に表れた。

 すなわち、この現象は、同一の方法で北半球と南半球で同時に行った実験で、現象は同時に全地球に影響するが、温度や湿度のような季節環境ファクターには関係ない、ということを示した。彼は、次のように記している:

 もし、宇宙空間が空虚で、物質場がなく、不活性だったら、こういうタイプの考察は重要性がないだろう。しかし、今日、その代わりに、我々は、宇宙空間には物質も場もともに存在することを知っている[26, pp.97-98]。
 

 同様に、マサチューセッツのウッヅホール(Wood's Hole )の生物学者、フランク・ブラウン( Frank Brown)は、“宇宙”の恒星日およびいろんな生き物の生物学的時間の季節的変動は、一定の環境条件のもとに保たれる。その条件の殆どは、ここに提案した宇宙論的モデルで保たれる、と記している[27]。

 宇宙のイーサの影響を示唆する同様の異常な恒星日と季節的サイクル変動を述べたいろんな学問分野の文献が豊富に存在する[19, p.141-142] 。

  
Fig.5 太陽の周りの地球の螺旋運動のピッカーディの模型
1958年ブラッセル万国博覧会.[26, p.98] , by DeMeo.


 最後に、我々は“暗黒物質風”(Dark Matter Wind)について最近沢山測定されている季節変動を考察してもよいだろう[28]。これは、宇宙を通る地球の螺旋運動の結果だと認められている。しかし、イーサ・ドリフトとは関連付けられていない。

 太陽の周りの地球の速度30km/secと、宇宙を通る太陽系の速度232km/secを結合すると、主張されている“暗黒物質風”の極大速度(6月2日)と極小速度(12月2日)がFigs.3-5に示すとおり存在する。暗黒物質は、常に、宇宙の開放空間において非常に微かな質量を示すが、銀河のハローを除いて、本質的に光の波に対し透明であるという重力的な異常の理由から示唆されるように、特別な実体として残っている。

 私は、“暗黒物質”は、上述のように、ミラー、ライヒおよびピッカーディを総合することにより宇宙論的イーサに一致するピークの“風の速度”をもつことが示されたので、宇宙の実質的・動的イーサに他ならないと、示唆する。

  
Fig.6 “暗黒物質風”の年変動, by DeMeo.
from the DAMA Project in Italy (after Bernabei) [28]
 

上記の文献を見る



付録:常用時と恒星時によるミラーのデータ

  
Fig.7 常用時と恒星時によるミラーのイーサ・ドリフト・データ
from Miller’s Mt. Wilson Experiments. (1928)













7. アインシュタインの最大のミステイク by シド・ドイチュ博士


   

 下記は、文献[1]の抜粋・概訳である。この本の著者Sid Deutschは、ポリテクニック大学の博士号(PhD)を有し、大学課程の電気工学を40年以上にわたって教授してきた。彼はIEEEおよび情報デイスプレイ学会のフェローである。彼は共著も含め7冊の本を著している。フロリダのサラソナに住む。

 この本のはしがきと序文は概訳して下記に示した。そこに述べてあることが、本文にわかりやすく詳細に説明されているのであるが、ここでは一部抜粋しかできないので、ぜひ、原著[1]で全文を読むことを勧めたい。なお、日本の外村氏の話もでて来たりで博識と思われる。

 なお、アインシュタインがイーサの存在を否定したのは、特殊相対論を発表してから11年間だけであり、そのあと亡くなるまでの40年間は肯定し続けた。

 しかし、ドイチュ博士の提案したイーサ粒子が、何らかのヒントになりそうなので紹介しておきたい。

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「アインシュタインの最大のミステイク: 
イーサの放棄」 [1]


シド・ドイチュ著:

「アインシュタインの最大のミステイク: イーサの放棄」



目次

 ・序文
 ・はしがき
 ・イーサ概歴

Chap.1. イーサの概念
Chap.2. アルバート・アインシュタインの罪
Chap.3. 主として音について

Chap.4 電磁場
Chap.5 イーサに対する初期の研究
Chap.6 マイケルソン・モーリーおよび現代干渉計

Chap.7 イーサに対する星の光行差
Chap.8 特殊相対論
Chap.9 イーサ粒子

Chap.10 イーサはどのようにして繰り返し見捨てられたか
Chap.11 ダブル・スリット・フォトン干渉パターン
Chap.12 波動・粒子の二重性フィールド

Chap.13 干渉計実験
Chap.14 相対的変化
Chap.15 ダブル・スリット電子干渉パターン

Chap.16 粒子・波動の二重性フィールド
Chap.17 電子スピン実験
Chap.18 光速を超える実験

  ・付録:いくつかの数値
  ・参考文献


書評 by The GPI on July 16, 2008 (Excerpt from Amazon)

 この興味深い本は、深遠な宇宙から我々の地球に向って走ってくる光に関する話題を提供してくれる。主な要点は、“宇宙の構造”、“バーチャル粒子”、あるいは“ヒッグス・フィールド”が、“何もない”ということよりも、どちらかといえば、実際に存在する“何ものか”であることを述べている。アインシュタインは、彼のライフワークが完成したとき、自分の帽子を“何もない”の上に置いた。

 100年以上昔のオリジナルな専門語を認めて、この本は、この“何ものか”をイーサ(ether or aether)と呼ぶが、これを現代の“暗黒物質”と同一視することは、この本では明らかに前提になっている。

 電磁波を運ぶ媒質であるイーサの元々の特徴は、その初めから変わってはいない。ここで、磨きがかけられた点としては、イーサは局所的にも全般的にも存在し、重みがある物体にくっついているということ、したがって、いかなる絶対参照枠にも依存性が少ないか、全く依存しないかでさえある、ということである。


 アインシュタインを全面的に攻撃するのではなく、誠実に共存的態度をもって著述し、そして主流の物理学の理論を補いさえして、著者は、イーサに関係した科学史をまとめてから、イーサが実際に存在してよいことの理由を示している。

 ポピュラーな現代宇宙論の著明な論点、すなわちイーサは宇宙のなかで失われている物質の可能性があるという点に、明白に言及しつつ、イーサ粒子の性質が直截的な方法で計算されている。この本は、イーサ否定理論には、とても多くの問題点が発生するさまざまな観測現実を説明するのに、いかにイーサ存在肯定論が助けになるかを説明し続けている。

 ここで、私の最も気に入った点は、有名な外村氏等のデユアル・スリット・シングルエレクトロン実験(dual slit single electron experiment)の結果の輝かしい説明に到達するトピックスの進展である。電子が粒子と波動という二重性をもつという通常の、そしてとらえどころのない言い方を超えて、著者は、イーサが如何に、二重性に見えるものを与えるようにフォトンと電子とが相互作用するかを実際に説明している。

 また、この本の優れた点は、光速を超える速さの通信の実際のテストの装置と結果のまとめのところである。その実験は、超光速(FTL:faster-than-light), Slash, Superluminal, Flash or entanglementとして知られている、他の人達が行った類似の実験の1群に関係している。

 ドイチュ博士は、イーサとフォトンおよび他のファクターとの相互作用がいかに、実験結果によく適合するかを述べている。代替案の分野が与えられているが、ドイチュ博士の説明は、全くもっともなことである。

 将来の物理学および宇宙論的研究の重要部分がどこから来るのか知りたい人は誰でも、この本とその参考文献を読むことによって得るところがあるであろう。 



はしがき

 私は、1983年に引退して以来、タンパの南フロリダ大学の電気工学の非常勤教授になった。このことで、量子力学の不思議さのような異論の多い問題を塾考する時間ができた。

 もし、われわれが、狭いスリットを通して電子(粒子とみなす)を発射すれば、それは、一般的に、横にずれスクリーンのセンターから離れたところに着地する。センターからずれるときは、電子は波動のように振る舞い、それがスクリーンにぶつかるときは粒子に戻ると我々は言うのである。

 同じように、もしフォトン(波動とみなす)を狭いスリットを通して発射すれば、それも横方向に動き、スクリーンのセンターから離れたところに、まるで粒子になったかのように着地する。

 私には、失われた成分、イーサ、があるように思える。それは、電子の粒子‐波動両面性およびフォトンの波動‐粒子両面性に関わっている。イーサの中の流線が、電子あるいはフォトンの横方向への運動の道案内をしているのである。

 もっと不可思議な振る舞いが、二つのフォトンが、かなり離れていても、即座に互いに影響しあうことが可能という、“もつれ”現象に表れる。物理学者、おとなの男性およびおとなの女性達は、これを何故か現実であると認めてはいるが、長距離のもつれに対する説明はできていない。

 本書の最後の章で、イーサを伴う小さな摂動に基づき、完全に快適な説明がなされる。

 イーサが存在するという肯定的な証拠は、アルバート・アインシュタインの特殊相対論からくる。

 地球(US)から1×108m/sの速度で遠ざかりつつある惑星(THEM)を考えてみよう。特殊相対論によれば、USおよびTHEM上の光の波は、各惑星に相対的に3×108m/sの速度になる。もし、THEMに向けられた仮想ビームが、3×108m/sの速度でUSを離れるなら、それは、THEMに相対的に3×108m/sの速度でTHEM上に着地するためにUSに相対的に4×108m/sまで、だんだん速度上昇しなくてはならない。この方法では、イーサ媒体(キャリア)だけが、光の速度を上昇させることができる。

 本書の前半は、これら宇宙論的事柄に関係している。次の半分は、電子とフォトンのそれぞれのふるまいを取り扱っている。そこでは、不思議な実験結果がときどきイーサにより悦明される。

 では、どんな悲惨な運命がイーサに降りかかったのか?エドモンド・T.ウイッテカー (Edmund T. Whittaker)は、A History of the Theories of Aether and Electricity:The Classical Theories,1951 のはしがきで、下記のように記している。

 誰でも知っているように、イーサは19世紀の物理学において重大な役割を演じた。しかし、20世紀の初めの10年間において、主にイーサに相対的な地球の運動を観測する試みの失敗の結果と、またそのような試みは常に失敗するに違いないという信条が是認されて、“イーサ”という語は支持を失ってしまい、通常、惑星間空間を“真空”と呼ぶようになった。それは単なる真空であって、電磁波を伝播する性質以外に何の性質もないものである。


 過去数年の間に、私は、この資料に基づいたいくつかの論文を、いろんな(主に物理関係の)刊行物に投稿した。しかし、論文は、例外なくどれも拒絶された。丁重な理由の拒絶が与えられたが、それは気にすることはない。私は、はじめから、私に加わる下記のような三つの攻撃があることを知っていたのである:

  1. 何年も前に、アインシュタインの先導に従う“おえら方”がイーサを葬り去った。その蘇生は、単純に、不合理な提案なのである。

  2. 私は、電気工学者である。イーサは物理学者によってのみ蘇らすことができる。

  3. 新しい推測は、はじめに、会議で発表し、ピア・グループの意見をもらうべきである。私は、 AAAS (American Association for the Advancement of Science) の学術会議で、イーサを復活させる試みをした。しかし、拒絶された。


 しかしながら、イーサが存在するという上述の証明が、この本を執筆する必要性、と同時に楽しい活力をもたらした。

 どうしてこの本を書くことになったかは、ここまでにしよう。出版に関しては、いろんな出版社に質問状を送った。しかし、本のテーマは、彼らにとって、あまりにも認め難いのではないかと心配していた。したがって、原稿は、かなり慣習にとらわれない出版社、iUNiverse、で終わりにした。

 編集部グループは、多くの賞賛に値する示唆を作成して下さるという素晴らしい仕事を行って下さったのである。…

 3人の人たちが、私の第一バージョンの原稿を読み、出版を勧めて下さった。彼らは、Dr. Raymond L. Pickholtz, George Washington University; Dr. Julio E. Rubio, Leeds University; and Dr. Tore Wessel-Berg, Norwegian University of Science and Technologyである。…





序文

(この節は、レイモンド・L・ピックホルツ博士の助力を得た)
 19世紀に、ジェイムズ・マックスウェルは、電気と磁気の効果を統合した、クーロン、ファラデイ、アンペール、その他の人達の実験結果に基づいたベクトル式の1群を明確に公式化した。

 彼らは、とりわけ、電磁波は存在することと、それは自由空間を一定速度で伝播することを示した。引き続いて、光は、単に電磁波の一種であるということが容認された。彼等、物理学者達は、音波、水の表面波、およびチューブ(複数)に沿う波のような波動を研究する広範囲の経験を行った。それぞれの場合において、伝播する波動の考えは、波動が形成され相互作用するところの媒体をもっていることに依存していた。

 従って、光あるいはどんな電磁波も、それらを支える空間のなかに媒体を持つべきではないということは、マックスウェルや他の人達を当惑させるのである。この推測される媒体はイーサである。マックスウェルは、有限だが極端に大きくはない光速という実際に測定された結果、とつじつまの合う性質をイーサに与える努力を行った。

 科学の始まりから、日常の人間の経験からもってきた直観的概念が、われわれはどのように物理現象を記述するかについてのしばりを課してきた。力学を定式化することにおけるニュートンの偉大な成功の後、19世紀まで、物理学者達は、全ての物理現象を力学的体系のあらわれとして観てきた。

 したがって、マックウェルや他の人達が、全宇宙に充満するイーサの力学的モデルを定式化する試みをしたことは驚くに当たらない。彼は、イーサは、固体のようではないが、応力を受けひずみを発生することができる性質を持っていると仮定した。彼は実際に、イーサと呼ぶ媒体の中で応力-ひずみの波動が、いかに空間を通して電磁波を運搬できるかを示す素晴らしい研究を行った。

 提案された、全てを透過するイーサは、当然、興味深い可能性をもたらした。すなわち、地球の運動により発生した“イーサ風”を測定することにより、空間(およびイーサ)を通して突き進むときの地球の絶対速度が測定可能というアイデアである。

 マイケルソンとモーリーは、マイケルソン自身の開拓による超感度の光干渉計を用いて、この値を測定する独創的実験を設計した。ここでは、深入りはしないが、重要な点は、いかなる方向にも、いかなる大きさのイーサも観測できなかったということを樹立した実験であったということである。

 アインシュタインは、マイケルソンとモーリーによってもたらされた否定的結果を知っていたとはいえ、彼らの結果は、特殊相対論を提案した1905年の彼の驚異的論文の動機付けにはなっていないように思える(この年に、アインシュタインは合計4報の論文を提案したが、どれも物理学上非常に大きな影響を与えた。彼の一般相対論は、加速と重力を扱っているのであるが、これは、この後であらわれた。)

 アインシュタインは、エレガンスとシンプル性で世界を記述せざるをえなかった。彼の特殊相対論の根本原理は、光は、相対運動に無関係に一定で有限の速度で伝播するということであった。これは、それ自体、マックスウェル方程式に、方程式はそのような運動に対し不変に保たれるという点で、特別な状態を与えた。

 しかしながら、アインシュタインは、ニュートン力学を犠牲にし、宇宙の理解を古典力学の日常の経験に基礎を置くことに慣れた人達に対し、光の速度に近づく速度において起こる明らかに奇妙な効果をつきつけた。

 特殊相対論の効果は、いまや、現代物理学および工学においてさえ、普通にありふれたことなので、この理論は広く受け入れられている。

 それでは、イーサとは何か? そう。アインシュタインと追従者たちは、単純に、それは必要ない、光は何のサポートも要求しない“フィールド”のような自由空間を伝播することができる、と宣言したのである。



Chap. 9 イーサ粒子



 時間は、始まりがない、あるいは少なくとも我々に理解できるものはない。同様に、宇宙にも始まりがない。我々は、電子をもっと小さく、さらにもっと小さくカットできるだろうか? しかし、イーサを視覚化する場合、願わくば、我々の周りの実世界に、我々の考察をつなぎとめる何らかの場所からスタートしなくてはならない。

 私は、“粒子”からなるイーサからスタートすることにする。ここで、EP(イーサ粒子)の主な存在理由としては電磁波を搬送することとして与えられるが、そのイーサ粒子を“視覚化”する試みがなされる。下記の記述は完全に推測である。

 音波は、一つの分子が隣の分子にぶつかる(あるいは穴を残し、隣がそれを埋める)ようにして縦方向的に伝播する。電磁波の平面波は、横方向に伝播し、電界Eと磁界Hは互いに、進行方向に直角になって伝わる。

 イーサ粒子の伝播は、スピンという方法で起こる。EPのスピンは、理由はともかくも、隣の仲間により動き始める。これらのアイデアの物理的具象化はFig.9-1に示すが、EPは球形でスピンしている物体である。

  
Fig.9-1 推測されるイーサ粒子(EP) by Deutsch[1]

 EPは、球形であり、直径0.18×10-15mで質量7.5×10-68kgである。
(a)電界の中のEPを示している。スピンの“回転数/sec”は電界の強度に比例する。
(b)磁界の中のEPを示している。スピンは、(a)のスピンと直角である。
(c)Pの方向に伝搬する電磁界のなかのEPを示している。


 EPについて最も知りたい二つのスペックは、その大きさと重さであろう。EPの大きさは、疑いもなく非常にわずかばかりのものであるが、今になっても発見を逃れている。理にかなっている推測としては、EPは電子の大きさであるが、これは我々は電子の直径をほんとうに知っていないという点で悩んでしまうのである。

 “古典的な電子の直径”は、2.8×10-15m = 2.8fm(femtmeter)である[17](p.132)が、これは、不合理的に大きい。何故なら、それは、小さな核の直径に匹敵する大きさだからである。

 電子の密度はニュートロンあるいはプロトンのそれと同じだと仮定しよう。U238の核は直径13.6fmであり、核子238個(ニュートロンとプロトン)を含んでいる。ニュートロンもプロトンも、それぞれ、約1.67×10-27kgの質量をもっている。

 ニュートロンとプロトンは密に詰まっていると仮定すると、密度3.025×1017kg/m3が得られる。電子の質量9.109×10-31を用いると、その直径は0.18×10-15m=0.18fmとわかる。これは、U238の核の直径が13.6fmであることから、理にかなっている。

 イーサ粒子の重さの件に進むが、理にかなった推測としては、イーサは暗黒物質(DM, dark matter)と同じであるか、あるいは、少なくとも、イーサ粒子の重さは暗黒物質の重さと同じである。この提案に沿って、暗黒物質の質量を探してみよう。

 暗黒物質の明確なモデルは存在しない。ここで、DMは、我々の銀河の直径をもつ球体の中に一様に分布している“クラウド”(雲)であると仮定する。イーサ粒子の重さの計算は下記のとおりである。

 全宇宙のニュートロンの数、プロトンの数および電子の数の総和は1080粒子である(いろんな情報源に基づく値)。これらの粒子の2/3はニュートロンあるいはプロトンと仮定し、電子の質量を無視すると、宇宙の質量は、(1080)×(1.67×10-27kg)×(2/3) = 1053kgである。

 1011個の銀河が存在する。これは、天の川のような典型的な一つの銀河の質量は、1042kgであることを意味する。天の川のDMの質量は、この10倍で1043kgである。

 天の川の半径は60,000光年である。1光年は9.46×1015mに等しい。したがって、天の川の半径は5.67×1020mとなる。球の体積は4πr3/3である。したがってDM球の体積は、7.65×1062m3である。

 これは、暗黒物質の密度は1.3×10-20kg/m3であることを意味している。これは信じられないほど小さいとはいえ、ゼロからはかなり遠く離れた値である。1m3の中に存在するEPの数はどのくらいか? EPが1辺0.18×10-15mの立方体であるとすれば、1.71×1047EPs/m3個存在することになる。

 最後に、一個のEPの質量は、(1.3×10-20)/(1.71×1047)=7.5×10-68kgとなる。比較のために言うと、電子の質量は9.109×10-31である。DMクラウドが全銀河に広がっているとき、DMは通常の物質の10倍重いという仮定にもかかわらず、一個のEPの質量は非常に小さいので、おそらく今日の測定装置では検出不可能であろう。

 スピンの方向は、EPが電界のなかにあるか、あるいは磁界の中にあるか、あるいは両方の中にあるかに依存する。EPには質量があるので、そのスピンは力学的エネルギーを表す。実際は、それは、場のエネルギーである。例えば、真空中における電界のエネルギーは、(ε0E2)/2である。ここで、ε0は誘電率である。

 エネルギーは、場の2乗で増加する。これは、まさに運動物体の力学的エネルギー(mv2)/2に関係している。速度(あるいはFig.9-1において、1秒当たりのスピン回転数)は、場の強度に比例している。

 Fig.9-1(a)は、プレート+Vおよび-Vの間の電界の中にあるEPを描いている。Looking upと記した図においてスピンは時計周りであると仮定している。これは、電界の物理的具象である。

 Fig.9-1(b)は、N極およびS極の間の磁界の中にあるEPを示している。スピンは、電界のスピンに直角である。Looking to the leftと記した図においてスピンは時計周りであると仮定している。これは、磁界の物理的具象である。

 最後に、Fig.9-1(c)は、平面の電磁波のなかにおけるイーサ粒子を示している。EPは、同時に互いに直角に交わる電界と磁界をもっている。その結果、スピンの回転軸は45°になる。これは、スピンが一つのEPから次のEPに伝達されるように伝播されるフィールドである。

 上の左手側の図で、エネルギーは紙面から外に伝播する。"Looking to the left"と記した図では、これはPと記した矢印で表してある。同様に、"looking up"と記した図では、伝播はPと記した矢印で表してある。

 真空中における光の速度は、c=1/(μoεo)1/2で与えられる。ここでμoは透磁率である。測定されている値はμo=4π×10-7H/m、およびεo=8.854×10-12F/mである。

 空気中では、圧力が変わると、分子は変わらないが、分子同士近づくか離れるかするので、音速は変化する。このことは、光速についても言えるのか? もし、そうなら、宇宙が膨張すると、イーサ粒子は互いに離れるので、μoおよびεoが変化し、光速は変化(増加または減少)し得る。これは、言うまでもなく、宇宙論に対しすごい意味を持っている[23]。



文献

[1] Einstein's Greatest Mistake: Abandonment of the Aether by Sid Deutsch
[17] Blanchard, C. H., C. R. Burnett, R. G. Stoner, and R. L. Weber. Introduction to Modern Physics. 2nd ed. Englewood Cliffs, NJ: Prentice-Hall, 1969.
[23] Magueijo, J. Faster Than the Speed of Light. Cambridge, MA: Perseus, 2003.










8. アインシュタインとイーサ by コストロ教授


   

 イーサにはいろんなモデルが提案されているが、アインシュタインも相対性理論を発表したあとに、彼のイーサ・モデルを提案している。彼は、それを相対的イーサと呼んだこともあるが、通常はニューイーサと呼んでいる。以下は、その文献[1]の抜粋・概訳である。

 なお、アインシュタインは何故イーサに回帰していったのかについては、文献(Why did Einstein Come back to the Ether?)も参照されたい。

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Einstein and the Ether[1]

コストロ著:アインシュタインとイーサ(Einstein and the Ether)



目次

本書の内容


 アインシュタインは、イーサの概念を撤廃したと広く信じられているが、実際は、彼の後の研究における考えを発展させ、1916年に新しい相対的イーサを導入していた。

 本書は、アインシュタインおよびイーサの再誕生について、どうして彼は19世紀的イーサを拒絶したのかの話に関係している。

 本書は、アインシュタインにより、またアインシュタインの物質的な実体、“新イーサ”としての時空間の取り扱いにより展開された三つの相対的イーサ・モデルについて詳細に記している。

著者について


 著者、ラドウィック・コストロ(Ludwik Kostro)は、1963-1970年に、ローマのサピエンザ大学およびグレゴリアン大学にて、物理学と哲学を学んだ。

 1975年に、グダンスク大学の物理学研究所の講師および助教授を勤め、1994年からは、哲学と社会学科の教授になったが、そこでは理事を務めた。

 現在は、同大学のロジック・方法論・哲学の学部の理事である。1988年からは、物理随筆誌(journal Physics Essays;カナダ、オタワ)の編集委員である。彼は、欧州物理学会の物理史部門の委員会委員である。英国哲学学会がスポンサーで、ロンドンのインペリアル・カレッジにおいて二年おきに開催される相対論の物理的意味に関する国際会議の科学委員会を務めている。

 1986年から、彼は、グダンスク科学会における数学・物理・化学部門の秘書であった。彼は、物理と哲学における79編の論文を書いている。また、いくつかの書物(例えば、Eros, Sex and Abortion in the Critical Catholicism in Scientia, 1999)も著している。

 彼は、いくつかのメジャーな賞を受賞している。フランス政府は、Les Palmes Academiques medalの叙勲を行った。

序論



 ほとんどの物理学者と哲学者の眼には、アルバート・アインシュタインは、電磁波・重力および他の相互作用を担う原因になるところの、空間を満たす媒質としてのイーサの概念を撤廃したと信じられている。今日、この見解は教科書、百科事典、科学記事に波及し広く響き渡っている。

 しかしながら、それは、歴史的事実を真に反映したものではない。ある意味では、歪曲さえされている。実際は、イーサは1916年に新しい意味を獲得している。そして、アインシュタインにより発念され展開された相対論のなかで、新しい興味深い応用が見つかっている。アインシュタイン自身は、この事実を以下のように述べいる。


 我々は、いまだにイーサという語を用いてよいだろうが、空間の物理的性質を表すためだけである。イーサという語は、科学の発展につれ何度もその意味を変えてきた。現在は、もはや、粒子でできている媒体を意味してはいない。そのストーリーは、決して終わってはいなくて、相対論で継続している。


 アインシュタインは、たった11年間(1905-1916)だけ、イーサの存在を否定しただけであった。その後、彼は、自分の態度があまりにも過激的であることに気づき、1916年以前に出版した彼の研究は、かなりきっぱりと完全にイーサの存在を拒絶していたことを後悔さえしている。アインシュタインのこの態度の変化は、下記の二つの声明により確認できる。


 […]1905年に、私は、物理学のなかでイーサについて語ることは、もはや許されないという見解であった。しかしながら、この見解は、我々が一般相対性理論を考察するとき、あとでわかるように、あまりにも極端すぎた。全空間を満たしている媒体を導入することと、また電磁場(物質も同様)はその状態であると仮定することは、常に許されている。

 […]再びもう一度、“空虚な”空間は、物理的性質を与えられているように見える。すなわち、もはや特殊相対論による場合にあるような物理的空虚ではない。一般相対性原理においては、イーサは復活したといってよい。

 […]新しい理論においては、もはや測定事実は“真実の”物理的事実から離すことはできなく、“スペース”と“イーサ”の概念は、一体化する。

 私自身に限っていえば、初期の出版において、イーサの全面的な非実在を議論する代わりにイーサ速度の非実在のみ強調した方が正しかったであろう。なぜなら、私は、イーサという語で、空間は物理量の運搬屋として観るべきである以外に何もないとみることが可能だからである。


 それにもかかわらず、1905年から亡くなるまで、アインシュタインは、19世紀物理学で理解されているようなイーサの存在を否定することは決してなかった。このように、我々がアインシュタインは、物理学からイーサの概念を取り除いたというとき、それは、ある意味では正しい。

 しかしながら、厳密にいえば、単に19世紀物理学の意味におけるイーサを意味しているというべきである。後で説明するようにアインシュタインは1916年に新しい相対論的概念のイーサを導入したからである。

 19世紀には多くのイーサ・モデルが構築された。それらの全ては、一つの共通の性質を有している。それは、何らかの方法で、特殊な参照フレームをもっているということである。これは、ドイツの物理学者ヘンドリック・アンツーン・ローレンツにより提案されたイーサの概念において、特に明らかな事実であった。アインシュタインは、全てのイーサの存在を否定した。何故なら、自然の法則の形成に対し特権を有する特別なフレームは存在しないということで、それらは相対性原理を破るからである。

 1916年にアインシュタインにより導入されたイーサは、超参照リアリテイを構築し、したがって、決して参照フレームを使うことなしに可能になるからである。結果として、それは相対性原理を破らないのである。このようなわけで、アインシュタインのイーサは“相対的イーサ”と呼ばれるのかもしれない。

 アインシュタインは、“相対的イーサ”という表現を、エデイントン・イーサに関してのアーノルド・ゾンマフェルドへの手紙のなかでたった一回使っただけである。彼は、“相対的”という形容詞を、彼の新しいイーサについて書くときは決して用いなかった。単に“新しい”という形容詞を用いた。(以下略)



読者による書評

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By Franco Sellerion March 26, 2001

 この本は偉大な本である。これは、基本的な面で21世紀の物理学に対して我々が理解していることを変えてくれる。私は、心から、教育を受けた全ての人々に勧める。それには少なくとも二つの理由がある。

  1. アルバート・アインシュタインが、彼の人生の最後の40年間、相対的イーサの存在に好意的であったということを知ることは、全ての物理学者と哲学者にとって現実的に大きなカルチャ・ショックである。

     私自身、ラドウイック・コストロ氏が初めてこの本について話され、そして私が、この主題についての彼の予備的論文を読んだときに、このカルチャ・ショックを経験した。いまや、私が相対性理論を講義し、アインシュタインがイーサを受け入れていたことの新しい科学史的発見を引用するとき、全ての人達が驚くことを目撃している。

    (訳注:上記の予備的論文とは、下記の文献[2]のことであろう)

  2. この本は、21世紀の最高に偉大な科学者の心の中へ向かって魅力的な航海をさせてくれる。アインシュタインのような偉大な物理学者でさえ、疑いをもち、自分の見解を変更し、誤りを犯すことを避けることはできない。

     著者コストロは、素敵なカルチャー冒険のなかで、終始もっとよい物理の理論を構築する研究における相対性の創始者の頭脳を通り抜ける旅行案内をして導いてくれている。

     コストロのタッチは、軽いがしっかりしている。彼の偉大な贈り物は、アインシュタインと彼自身の間に著者がいるということを忘れさせてくれる彼の執筆能力である。

     さらに、240頁あまりの本の中に集積されている膨大な量の情報、そのまだ少量の反映でしかないのだが、彼の役割が如何に重要で、苦痛と知性をともなうものであったかを、即、示している。

 科学の歴史と哲学に興味をもつ全ての人々に与えられたこの素晴らしいギフトに対し、私は、ラドウイック・コストロ氏に甚深の謝意を表する。

 (訳注:この他に多くの書評が掲載[2]されているが、割愛する。)

文献

[1]Ludwik kostro: Einstein and the Ether Paperback December 1, 2000
[2]Ludwik kostro: Albert Einstein's new Ether and his General Relativity








9. イーサ時空間および宇宙論 by レビー & ダフィー




 この本、「イーサ時空間と宇宙論」[1]は、何人もの専門の研究者の連名により書かれている貴重な著書である。以下は、文献[1]の抜粋・概訳である。

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「イーサ時空間と宇宙論、第1巻」:近代
イーサの概念、相対性および幾何学[1]


「イーサ時空間と宇宙論、第1巻」

  by Joseph Levy and Michael Ciaran Duffy

Amazonのペイジより

 本書(第1巻)は、いくつもの論文から構成されているが、本書の目的は、 現代のイーサの概念が発展してきた異なる幾つかの道筋をよく調べることと、 21世紀の主な部門において、それが演じた部分にハイライトを当てることにある。

 イーサの存在に対する証拠が再考され、イーサに関して広く行きわたっている誤った概念が訂正されることを願っている。

 イーサの発展段階の現代的概念が、21世紀物理科学の発展における基本的な部分を演じるということが予想される。

本の裏表紙の記載より


 過去20年間の研究が、空間の中には通常の物質がなくてさえ、物理的性質が存在することを確信させている。誘電率、透磁率および電磁波を伝送する能力、このようなよく知られた性質に加えて、最近は、他の特徴が空間の概念に、関連してきている。

 カシミール効果は、その中に含まれるが、それは重大な量のエネルギーをもっている。この媒体は、通常の物質の痕跡なしに、通常、“物理的真空”(Physical Vacuum)、“充満”(Plenum)、あるいは、“宇宙基質”(Cosmic Substrate)という名称、あるいはその他の名称で呼ばれる。

 用語は違っても同等な内容であり、この媒体は、イーサと呼ばれる。ここで、イーサとは古い時代に考えられた媒体であり、17世紀から20世紀の間で科学界から大きな注目を受けていたものである。今日、アインシュタインがすべてのイーサを1905年発表の彼の特殊相対論で現代物理学から一度排除したことを学術の世界では一般的に理解されている。

 アインシュタインは、一般相対論と、その後の彼の研究において、等価となる概念を展開したとはいえ、イーサは、相対性とは概念的に相容れないということは、不当性としてよく知られている了解事項である。

 アインシュタインのイーサ概念は、現代の多くの物理学者に刺激を与えたが、他の人達は他の方向の考え方に向かっていった、と付け加えてよいであろう。

 幾つかの論文からなる本書(第一巻)の目的は、現代のイーサの概念が発展してきた異なる方法を吟味すること、また、21世紀の主な部門において演じられた部分にハイライトを当てることである。イーサの存在に対する証拠が再考され、イーサに関して広く行きわたっている誤った概念が訂正されることを願っている。

 イーサの発展段階の現代的概念が、21世紀物理科学の発展における基本的な部分を演じるということが予想される。



序論



 長く続いた空白の後に、今日、イーサ概念が、強力な理論的および実験的議論により再出現し、物理学の発展に対する重要性が強調される。我々は、大学において真実はしばしば静かに通り過ぎるとはいえ、アインシュタイン彼自身は1916年以来、イーサに力を注いでいたということを心に留めておくべきである。

 彼の小冊子“相対性における側面からの光”(Sidelight in relativity)のなかで、彼は、下記の言葉で彼の信念を表している。


 “一般相対性理論によると、空間は物理的実質が付与されている。この意味では、したがって、イーサは存在する”


 しかし、物理学者達の中に、イーサの性質に関しての不一致が見られるのであって、21世紀物理学および本プロジェクトの目的の一つは、その性質を明らかにすることであろう。ここで本プロジェクトの信頼性は、Michael C, Duffy博士の惜しみない努力によるものである。

 本書に示されているアプローチは、アインシュタインとポアンカレの考えに従うか発展させた二つの流れに分けられ、第3の流れは、それらからある程度離れている。しかし、多くの物理学者たちは、アインシュタインとポアンカレの理論は、実質的に等価であるとみなしていて、どちらを選ぶかは、哲学的好みで決まる。(以下略)



文献

[1]Michael C. Duffy & Joseph Levy (Authors, Editors): Ether space-time and cosmology: modern ether concepts, relativity and geometry





本書には、第2巻、第3巻が下図のとおり出版されている。

Ether space-time and cosmology: Vol.2.
Ether space-time and cosmology: Vol.3.











10. まとめと考察




まとめ



考察

 先に述べたようにフリーエナジー研究開発者達は、フリーエナジーのエネルギー源はイーサであると推測/提案しているが、以上述べてきたように、真空空間には、何らかのイーサまたはイーサ的媒質が遍く存在すると考えられる。それは巨大なエネルギーを秘めている。このエネルギーを利用すべきである。

 イーサそのものの詳細な解明は、今後の研究が必要であるとはいえ、解明と同時に利用方法の解明も重要である。そのためには、対応するイーサの物理的特性を把握する必要があるのであるが、それは利用方法の研究が、その理解を助けることになる筈である。

 イーサまたは暗黒物質の濃度を局所的に(マシーン内に)高めるようにすれば、levitationその他の現象がおこる筈である。密度を高める方法は、イーサの特性を理解することであり、本章および次章はその大きなヒントを与えている。それは熟読すれば、おのずと把握可能である。

 なお、アインシュタインの特殊相対論では、真空中における光速の値は 299792458 m/sで一定であり、これを超える光速は否定される。しかし、これは、一部の科学者が課した自己呪縛であるかもしれない。





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