光を運ぶ媒質イーサを通って地球は動くと仮定された。 |
(1866-1941) 文献[1]より |
かって建設されたこのタイプのもののなかで、 最大で、最も高感度である。…文献[1]より |
“シャンクランドは、アインシュタインと広範囲にわたる相談をしたあとに、ミラーの観測を徹底的なレビューにさらすことに決心した。…アインシュタインは、最後の原稿(シャンクランドの出版前の原稿の)を見て、ウィルソン山実験から得た小さな周期的問題を最終的に説明していることに感謝する私信を書いた。(Swenson, p.243)” |
約22mの往復光路を有する。旧ケイス・スクール(現在のCase-Western Reserve University)の物理棟の基礎の中のコンクリート・プラットフォー ム上に設置した。 この干渉計の感度は、後に建設されたミラーの64m干渉計の約1/3であっ た。この写真では、光路を覆う木製防護カバーは取り外してある。 そのような密度の高いカバーおよび石の基礎は、ミラーが示したように、 イーサの動きを遅くした。 これらの問題は、比較的短い光路および比較的低い位置にして、事実上 ほとんど小さい(しかしゼロではない)測定値が保証された。 |
光源(S)から発生した光はレンズ(L)を通り、銀のハーフミラー(D)で分離する。それから光線は光線(IおよびII)に沿って、ミラー(1-8)へ前後に反射し、最後に、銀のハーフミラー(D)で再会し、小望遠鏡アイピース(T)へ反射される。ここで、干渉縞が観測される。 |
上の写真: 木製プラットフォームが、ケイス・スクールの建物内で、干渉計のミラーと光学系に対して、装備されている。 下の写真: コンクリート製プラットフォームが、ケイス・スクールの建物内で、干渉計のミラーと光学系に対して、装備されている。 |
これは、ウィルソン山で最後に採用された。金属支持構造体を覆う1インチの絶縁コルクパネル、および光路に沿ってカバーするガラスと軽い紙で絶縁している(写真では紙は除いてある)。 これらの措置は、装置と光路内の空気の周囲温度差の重大な影響を取り除く。しかし、これでもイーサ・ドリフトの動きが見られた。 |
上の写真: キャンバスで全体を覆い、ビーバーボード (木繊維から作った 軽い合板; 間仕切りや天井板などに用いる)の壁で絶縁している。 下の写真: 温度をさらに安定させるために、上と同じハウスの屋根と壁をテントカバーで覆っている。 |
知られている場所)のミラーの干渉計ハウスの位置[1] |
ウィルソン山における四つの10日間測定。1925-1926. |
ウィルソン山におけるイーサ・ドリフト実験。1925-1926。 |
上段: 四つのそれぞれ離れている月または期間から得たデータ。1年の内で異なる時間に測定し、恒星時により表してある。このグラフは、一定の周期があることを示している。太い線は四つの期間の平均である。 下段: 常用時(civil time)により表したときの上段と同じデータ。ここで、データのプロットはグラフ全体に広がっていて、明らかな周期性がない。 これは、イーサ・ドリフトの検出された軸および周期性は、1年間の異なるときに対して同じであるが、宇宙論的恒星時座標系の範囲内で見たときのみ見られる、ということを示している。… |
ウィルソン山におけるイーサ・ドリフト実験。1925-1926。 |
上段: 四期間の測定から得たイーサ・ドリフトの大きさの平均変化。 極大速度は、恒星時5時あたりで起こり、極小速度は恒星時17時あたりで起こる。 ミラーの1933年の論文は、地球はイーサにより黄道面の南極付近の旗魚座の方向に押されていると仮定されるとき、干渉計を通り過ぎるイーサ・ドリフトの運動と方向は、正確にこれに逆であり、黄道面の北極付近の竜座に向かう (17 hours right ascension, declination of +68°)。 彼の理論の観点から、“イーサ・ドリフトの方向”に対する“地球の正味の運動”の概念を明らかにすることが重要である。しかしながら、もしイーサそれ自体が、宇宙の基本運動として、動いているならば、イーサ・ドリフトの方向および地球の正味の運動は、異なる速度においても、同一であろう。 下段: 恒星時による方位角の読み値の平均的変化。このグラフは、ミラーによる論文(1933, p.235)のFig.2(上のグラフ)のおなじ平均データの曲線を用いているが、異なるベースライン平均を用いている。 同じグラフが、季節平均を用い改定したミラーの論文(1933. p.235)を用いて、初めてここに示されている。これはイーサ・ドリフトの軸を定義する助けになっている。 驚くべきことに、ミラーにより四つの期間に対する独立平均(Feb.=-10° west of north, April=+40° east, Aug.=+10° east, Sept.=+55° east) は、平均変位(23.75° east of north)を生じている。これは、地軸の傾き23.5°に非常に近い値であるが、偶然の一致とは言い難い。 このことに関する、さらなる考察は、筆者により与えられている(DeMeo 2002; Graphic adapted from Miller 1928, p.363 and Miller 1933 p.235)。 |
太陽の周りを動く地球の四つの季節に対するイーサ・ドリフト軸を示している。このモデルでは、ドリフト軸は、概略黄道面に垂直である。 |
この装置は、彼らの論文(1929)で報告されたようにウィルソン山において、数値は明示してないが20 km/sec以下のイーサ速度の検出に成功したときの装置である。
この肯定的結果は、実験者が地球搬送イーサ(Earth-entrained ether)の概念の意味を早まって除いてしまったために、“否定的”として棄てられたものであった。この実験は、かって製造されたことのない最大の光路を有する干渉計を使っていたが、それは、往復52mの光路であり、ミラーの64m干渉計に近い感度を有していた。… |
マウント・ウィルソン観測所で開催された マイケルソン・モーレイ実験の学術会議にて |
デイトン・ミラーの教え子であり、Case Western Reserve大学の物理学部のチェアマンであった。
シャンクランドの学術的経歴は、ミラーの研究のチェック・チームを組織し、ミラーの研究は価値がないと宣言し、後にアインシュタインが、彼を広く出版された一連のインタビュー記事で認めた後に、名声が上がった。 その後、シャンクランドは、発展しつつある原子エネルギーインフラ・ストラクチャ分野のなかで官僚になった。 アインシュタインと懇意であり、1981年のインタビューで、シャンクランドは、イーサ・ドリフトに関するミラーの研究は、おそらくアインシュタインに相対論に対するノーベル賞の犠牲を払うと主張した(アインシュタインは、後にノーベル賞を獲得した。しかし相対論ではなく他の理論的研究で。)。 ミラーの死(1941)の丁度前に、ミラーは1900年代初期から行われたイーサ・ドリフト実験の膨大なデータをシャンクランドに預けた。ウィルソン山からの300枚以上のデータシートに数多くの実験ノートを含んでいた。これらの全てはシャンクランドの管理下で消失してしまった。 (あとがき:2002年9月)本稿をPulse of the Planet #5 および、インターネットに投稿し、ミラーのデータは、シャンクランドにより破壊されてしまったことを示唆し、ケイス・ウエスタン・大学ののいろんな教授と大学職員にミラーのオリジナル・データをしっかり探すように圧力をかけたところ、CWRU(Case Western Reserve University)の物理学部内に再び姿を現した。それは、すぐにCWRUアーカイブズに引き渡された。 |
時間の遅れとは、相対性理論が予言する現象。運動している状態によって時計(時間座標)の進み方が異なることを指している。特殊相対性理論では、ある速度で動いている観測者の時計の進み方は、それより遅い速度か静止している観測者の時計よりも進み方が遅くなることが予言された。これは、実験的に確認されている。―Wikipedia |
双子の兄弟がいて、弟は地球に残り、兄は光速に近い速度で飛ぶことができるロケットに乗って、宇宙の遠くまで旅行したのちに地球に戻ってくるものとする。このとき、弟から見れば兄の方が動いているため、特殊相対性理論が示すように兄の時間が遅れるはずである。すなわち、ロケットが地球に戻ってきたときは、兄の方が弟よりも加齢が進んでいない。一方、運動が相対的であると考えるならば、兄から見れば弟の方が動いているため、特殊相対性理論が示すように弟の時間が遅れるはずである。すなわち、ロケットが地球に戻ってきたときは、弟の方が兄よりも加齢が進んでいない。これは前の結果と逆になっており、パラドックスである。このパラドックスは、双子の兄弟の運動が対称ではないことから解決される。―Wikipedia |
from Wikipedia. ホーキング (Stephen William Hawking) from Wikipedia. |
ホーキングの解析へこれを適合すると、代償が必要となる―つまり、相対性理論は変更を加えなければならない。アインシュタインの仮定とは違って、時空間は何か未知の種類の“分子”から構成されていなければならない。 |
物理学は、場の概念、すなわち、連続的構造、に基づかざるを得ないとすることは全くあり得ること、と私は考えている。そのとき、私の空中の城には、重力理論も含めて何も残らなくなる。残りの近代物理学の何もない。 |
マイケルソンはエーテルの流れを検出するに十分な精度を得られる実験方法を考案した。これは今日干渉計と呼ばれる装置である。まず、光源から出た白色光線はハーフミラーを通り、二つの互いに垂直な光線に分割される。 それぞれの光線は、しばらく進んだ後に鏡で反射され、中央に戻ってくる。そして検出器の上に重ね合わせると、それぞれの光線が光源を出てから検出器に到達するまでに費した時間に応じて、干渉が起こる。光線が費した時間が僅かでも変化すると、干渉縞の位置が動くはずである。 もしエーテルの風が地球の自転にのみ由来するのであれば、風向きは12時間ごとに反転する。また、一年を通しても、半年ごとに風向きが変化しなければならない。すなわち、エーテルの風向きによって干渉縞が移動するのである。 実験は、エーテルの流れが太陽から見て止まっていると仮定し、地球の運動により引き起こされる干渉縞の移動の測定を目的として行われた。 マイケルソンは1881年にいくつかの実験を行った。予想された干渉縞の移動が、縞の間隔を1として0.04であったのに対し、検出されたのは最大で0.02であった。―Wikipedia 詳細はウイキペデイア参照。 (注)上記の0.02という値は、予想より小さいことと装置の精度の点から考えて誤差の範囲であり、イーサは存在しないと考えられた。しかし、低い場所で測定した彼らの実験で小さな値が得られるのは、下記のデイトン・ミラーの考えでは当然のことであった。 |
(Aether drag hypothesis) 19世紀において、光の伝播のための媒質としてのルミニフェラス・イーサの理論が広く議論された。この議論の重要点は、この媒質に対する地球の運動状態に関する疑問であった。 イーサ引きずり仮説は、ルミニフェラス・イーサは運動している物体に引っぱられているのか、あるいは運動物体の内部で一緒に搬送されているのかという疑問を扱っていた。 第一バリアントによると、地球とイーサの間には相対運動は存在しない。第二バリアントによると、相対運動は存在し、したがって光速はこの運動(イーサ風)に依存し、これは地球表面に静止した装置で測定可能であろう。 ある種のイーサモデルがオーガスチン・ジーン・フレネルにより発案されたが、それはイーサは物質により部分的に搬送されるという提案であった(1818)。もう一つは、1845年にジョージ・ストークスにより提案され、イーサは物質内部やその近傍において完全に搬送されるというものであった。 フレネルによるほとんど静止の理論はフィゾーの実験(1851)により明白に確認されたが、一方、ストークスの理論は、マイケルソン・モーリーの実験(1881, 1887)で、明らかに確認された。この矛盾した状況は、ヘンドリック・アンツーン・ローレンツ(1895, 1904)による研究で解決された。彼のローレンツ・イーサ理論はいかなる形態のイーサ引きずり論も抹消した。 最後に、アルバート・アインシュタインの研究(1905)で、特殊相対論は、メカニカルな媒体としてのイーサを全く含んでいない。 ―Wikipedia |
“イーサの概念は、クリアな内容を、もう一度獲得した。一般相対性原理におけるイーサは、それ自体、あらゆるメカニカルで力学的な性質を奪われた媒質である。しかし、それは、メカニカルおよび電気力学的な出来事を決めることにおいて貢献している。” |
“無反応のニュートリノの広大な海は、長く議論されてきた宇宙に充満している“イーサ”であり得る。宇宙は空虚ではない。だから、我々は、光の伝播のために電気的に反応する媒質をもち、その媒質における電気的妨害の特性速度がいわゆる光速,Cである。
[電気的宇宙]モデルの中で、電子と陽電子はサブトロンというサブ・クオークの種類から構成されているので、これらのバーチャル粒子は、真に消滅はしなくて、どちらかと言えば合併し、そのエネルギーのほとんどをフォトンとして放出し、その状態をニュートリノに変える。” |
“ニュートリノは、【フィールドの配置】(field configurations)であり、空間を通して【ソリトン】のように動く。それは、パウリにより、質量はないが、ベータ崩壊に対するエネルギーのバランスシートを満たすことが可能な、エネルギー搬送粒子として導入された。ニュートリノ放射をエネルギー源として実際に用いることよりも明白なものはないであろう。” |
“EPOLAは、誘電体イーサに対するファラディの探求および1873年に出版されたマックスウェルの方程式に対する力学的な基礎を満足させたであろう。” |
要約: 高感度光干渉計を用いたデイトン・ミラー(c.1906-1929) のイーサ・ドリフト実験は、系統的な肯定的効果を示した。それに引き続いて行われたマイケルソン・ピース・ペアソン(1929)、ギャラエフ(2001-2002)、その他の研究者による実験研究はミラーの結果が正しいことを確認した。 ミラーの結果は、以下のことを示唆している:
答はウイルヘルム・ライヒ(1934-1957)のバイオエネルギー的研究の中に見つかる。ライヒは、明瞭な生物学的および気象学的性質(高真空中に存在していて、物質と相互作用し、金属で反射し、自己吸引(例えば、重力的)のらせん形の流れ運動)をもつエネルギー連続体を示した。 Giorgio Piccardi (c.1950-1970) および彼の支持者達も、宇宙を通る地球の螺旋運動に関係した、水の物理科学、化学反応および放射性崩壊に影響を与える、金属で反射し太陽で変調されたエネルギーを示した。 “暗黒物質の風”の年変動に関するさらに最近の研究も、運動している太陽のまわりの地球の螺旋形の運動に関係している非常によく似た変動を示している。このことは、暗黒物質は、ダイナミックな実質的な宇宙論的イーサに対して誤解された名称(代わりのもの)であることを示唆している。(訳注:平たく言えば、暗黒物質とはイーサのことであると示唆している) |
ミラーのウイルソン山実験(1928), by DeMeo. |
上段: 四つの季節期間の測定からのイーサ・ドリフトの観測された大きさの恒星時間による平均的変化。極大のイーサ速度は、恒星時〜5時で、極小速度は恒星時〜17時で起こる。
下段: 恒星時による平均方位角の読み値。ベースラインは、ミラーの改定版季節平均からとった[4, p.365; 1, p.234]。四つの季節時期に対する平均は、ともに、北の西側23.75°の平均変位を発生するが、これは地軸の傾き23.5°に非常に近い値である。一致? |
地球は、受動的、静止的イーサを通して南に突き進んでいるのか? あるいは、ライヒに類似の動的イーサが重畳する螺旋波動のなかで北に流れ、それとともに地球ー太陽系を運んでいるのか?
図の地球上のマーク“X”は、日内の異なる時間におけるミラーの十字型干渉計を示しているが、イーサ風の方向が常用時にいかに依存して変化するかを示している。しかし、恒星時座標依存性は比較的一定のままである。 |
地球は、9月−3月(D-A & A-B)の期間よりも3月−9月(B-C & C-D)の期間の方が大きな距離を移動する。1年間におけるこの加速と原則は銀河の中心に向かう運動か遠ざかる運動かに関係している。
図には、ミラーのウイルソン山実験から得たイーサ・ドリフト速度の季節変動の測定値(kps=km/sec)が示してある。… |
地球は、らせん状に太陽の周りを動き、太陽はベガに向かって動く(夏至のときの配置で示してある)。竜座は黄道面の北極の大体の位置に記してあるが、イーサ・ドリフト(“X”において)のミラーの算出された軸の北極の約7°以内にある。黄道面は太陽の行路から約60°傾いている。[25] |
もし、宇宙空間が空虚で、物質場がなく、不活性だったら、こういうタイプの考察は重要性がないだろう。しかし、今日、その代わりに、我々は、宇宙空間には物質も場もともに存在することを知っている[26, pp.97-98]。 |
1958年ブラッセル万国博覧会.[26, p.98] , by DeMeo. |
from the DAMA Project in Italy (after Bernabei) [28] |
from Miller’s Mt. Wilson Experiments. (1928) |
イーサの放棄」 [1] |
この興味深い本は、深遠な宇宙から我々の地球に向って走ってくる光に関する話題を提供してくれる。主な要点は、“宇宙の構造”、“バーチャル粒子”、あるいは“ヒッグス・フィールド”が、“何もない”ということよりも、どちらかといえば、実際に存在する“何ものか”であることを述べている。アインシュタインは、彼のライフワークが完成したとき、自分の帽子を“何もない”の上に置いた。 100年以上昔のオリジナルな専門語を認めて、この本は、この“何ものか”をイーサ(ether or aether)と呼ぶが、これを現代の“暗黒物質”と同一視することは、この本では明らかに前提になっている。 電磁波を運ぶ媒質であるイーサの元々の特徴は、その初めから変わってはいない。ここで、磨きがかけられた点としては、イーサは局所的にも全般的にも存在し、重みがある物体にくっついているということ、したがって、いかなる絶対参照枠にも依存性が少ないか、全く依存しないかでさえある、ということである。 アインシュタインを全面的に攻撃するのではなく、誠実に共存的態度をもって著述し、そして主流の物理学の理論を補いさえして、著者は、イーサに関係した科学史をまとめてから、イーサが実際に存在してよいことの理由を示している。 ポピュラーな現代宇宙論の著明な論点、すなわちイーサは宇宙のなかで失われている物質の可能性があるという点に、明白に言及しつつ、イーサ粒子の性質が直截的な方法で計算されている。この本は、イーサ否定理論には、とても多くの問題点が発生するさまざまな観測現実を説明するのに、いかにイーサ存在肯定論が助けになるかを説明し続けている。 ここで、私の最も気に入った点は、有名な外村氏等のデユアル・スリット・シングルエレクトロン実験(dual slit single electron experiment)の結果の輝かしい説明に到達するトピックスの進展である。電子が粒子と波動という二重性をもつという通常の、そしてとらえどころのない言い方を超えて、著者は、イーサが如何に、二重性に見えるものを与えるようにフォトンと電子とが相互作用するかを実際に説明している。 また、この本の優れた点は、光速を超える速さの通信の実際のテストの装置と結果のまとめのところである。その実験は、超光速(FTL:faster-than-light), Slash, Superluminal, Flash or entanglementとして知られている、他の人達が行った類似の実験の1群に関係している。 ドイチュ博士は、イーサとフォトンおよび他のファクターとの相互作用がいかに、実験結果によく適合するかを述べている。代替案の分野が与えられているが、ドイチュ博士の説明は、全くもっともなことである。 将来の物理学および宇宙論的研究の重要部分がどこから来るのか知りたい人は誰でも、この本とその参考文献を読むことによって得るところがあるであろう。 |
誰でも知っているように、イーサは19世紀の物理学において重大な役割を演じた。しかし、20世紀の初めの10年間において、主にイーサに相対的な地球の運動を観測する試みの失敗の結果と、またそのような試みは常に失敗するに違いないという信条が是認されて、“イーサ”という語は支持を失ってしまい、通常、惑星間空間を“真空”と呼ぶようになった。それは単なる真空であって、電磁波を伝播する性質以外に何の性質もないものである。 |
EPは、球形であり、直径0.18×10-15mで質量7.5×10-68kgである。 (a)電界の中のEPを示している。スピンの“回転数/sec”は電界の強度に比例する。 (b)磁界の中のEPを示している。スピンは、(a)のスピンと直角である。 (c)Pの方向に伝搬する電磁界のなかのEPを示している。 |
我々は、いまだにイーサという語を用いてよいだろうが、空間の物理的性質を表すためだけである。イーサという語は、科学の発展につれ何度もその意味を変えてきた。現在は、もはや、粒子でできている媒体を意味してはいない。そのストーリーは、決して終わってはいなくて、相対論で継続している。 |
[…]1905年に、私は、物理学のなかでイーサについて語ることは、もはや許されないという見解であった。しかしながら、この見解は、我々が一般相対性理論を考察するとき、あとでわかるように、あまりにも極端すぎた。全空間を満たしている媒体を導入することと、また電磁場(物質も同様)はその状態であると仮定することは、常に許されている。
[…]再びもう一度、“空虚な”空間は、物理的性質を与えられているように見える。すなわち、もはや特殊相対論による場合にあるような物理的空虚ではない。一般相対性原理においては、イーサは復活したといってよい。 […]新しい理論においては、もはや測定事実は“真実の”物理的事実から離すことはできなく、“スペース”と“イーサ”の概念は、一体化する。 私自身に限っていえば、初期の出版において、イーサの全面的な非実在を議論する代わりにイーサ速度の非実在のみ強調した方が正しかったであろう。なぜなら、私は、イーサという語で、空間は物理量の運搬屋として観るべきである以外に何もないとみることが可能だからである。 |
イーサの概念、相対性および幾何学[1] |
“一般相対性理論によると、空間は物理的実質が付与されている。この意味では、したがって、イーサは存在する” |