第542回「ノーベル賞・大隅さんの警鐘は政府に通じま い」 (2016/10/04)  ノーベル医学生理学賞に決まった東京工業大の大隅良典栄誉教授が日本の科学 研究に警鐘を鳴らしているのが印象的です。メディアも社説などで同調していますが、 大学いじめが自己目的化した政府に通じると思えません。東京新聞の《ノーベル賞・ 大隅氏 「科学が役に立つのは100年後かも」》で「今、科学が役に立つというのが数 年後に企業化できることと同義語になっているのは問題。役に立つという言葉がとっ ても社会を駄目にしている。実際、役に立つのは十年後、百年後かもしれない」と語っ ています。現実に第535回「文科省主導の大学改革が国立大の首を絞める」で指摘し たように国立大学は疲弊しきっており、研究論文数では先進国中で目を覆うばかりの 地位低下を招いています。  大隅さんの仕事の意味はご本人が朝日新聞のインタビューで答えている言葉で明 解です。「たんぱく質の合成が大事だというのは異論がないわけですが、たんぱく質 が作られた分だけ壊れないといけないので、分解はそれと同じくらい大事」。適切に細 胞内で分解されないと様々な病気の原因になるとして近年、大注目されるようになり ましたが、大隈さんはたった一人で単細胞生物の酵母を対象に研究を始めました。オ ートファジー(自食作用)は難しすぎる用語です。  ノーベル賞級の仕事を説明する模式図を書いてみました。人類の持つ知の地平の 一角で、新たな突破口を開く研究が現れます。そこから後続する研究で拡大していく 知見の大きさでブレークスルーした研究のインパクトが測れます。大隅さんは酵母で たんぱく質を壊す仕組みを解明し、後続の研究者がパーキンソン病やアルツハイマ ー病など人間の病気との関連に到達しました。何処で突破口が開かれるかは予め分 かるはずもないと、大隅さんは考えていらっしゃるから「役に立つ」研究志向に疑問を 投げるのです。  昨年夏、大隅さんは「科研費について思うこと」を公表して基礎研究の危機を訴えて います。国立大に対する運営費交付金の継続的な削減で従来はあった研究できる環 境が消え、科研費等の競争的資金が「研究費」そのものになってしまいました。  《競争的資金の獲得が運営に大きな影響を与えることから運営に必要な経費を得る ためには、研究費を獲得している人、将来研究費を獲得しそうな人を採用しようという 圧力が生まれた。その結果、はやりで研究費を獲得しやすい分野の研究者を採用す る傾向が強まり、大学における研究のあるべき姿が見失われそうになっているように 思える》  《安倍首相「日本人として誇り」 大隅さんノーベル賞》を見れば大隅さんの憂慮が理 解されていないと読み取れます。  《首相は「先生は常々、だれもやっていないことに挑戦するとおっしゃっておられ、そ うしたチャレンジする姿勢が今回の受賞につながったのではないかと考える」と述べ た。また、「今後とも政府としてあらゆる分野でイノベーションを起こし続けることを目 指し、独創的で多様な研究をしっかり支援していくとともに、研究を担う人材育成に力 を入れていきたいと考えている」と語った》  政府が「選択と集中」のさじ加減が出来るとの不遜さをがノーベル賞学者の憂いの 対象になっているのに、国立大運営費交付金削減を毎年1%ずつ積み増ししてきた 失政への反省など何処にもありません。実用研究志向が強烈な韓国には1人もノー ベル賞科学部門受賞者がいません。ある意味でオタクのような若き日の大隅さんの 仕事ぶりを支えた環境が大学から失われたと指弾します。  【10/7追補】元基礎生物学研究所長・元岡崎国立共同研究機構長 毛利秀雄名誉 教授による《隣のおじさん−大隅良典君(ノーベル生理学・医学賞の受賞を祝して)》 が素晴らしい内容です。なかなか論文にしなかった研究の経緯なども面白いし、次の コメントで無理解な政府をバッサリです。 《大隅君はインタビューで、基礎研究の重要性を訴え、現状を憂い、そして一億に近 い賞金をあげて若手を育てるために役立てたいとコメントしています。それに対してマ スコミや首相は応用面のことにしか触れず、文科相は競争的資金の増額というような 見当はずれの弁、科学技術担当相に至っては社会に役立つかどうかわからないもの にまで金を出す余裕はないという始末です。なげかわしい。これでは科学・技術立国 など成り立つはずがありません。それにもめげず、より多くの若い人たちが大隅君の 受賞に刺激されて、すぐに役立つわけではない基礎研究に、そしてどちらかというとこ れまで恵まれてこなかった生物学(生命科学)の研究に進んでくれるようになることを 大いに期待したいと思います》